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なんですってぇええ?!


マジすかっ!?

じゃあ観に行かねば!!!
その他のエンタメ comments(0) -
#11 まもなく2番線に・・・。

目黒通りのいつもの交差点
見送る背中にサヨナラと呟いた
まるで映画のワンシーンのように
振り向いた貴女の瞳が濡れてた

滑り込む電車が思い出かき消す
都会の日暮れ一人が寒い


わたしは免許持ってないし、電車っ子なので都内の道路にまったく詳しくないので、この歌の「交差点」をずっと、東急東横線中目黒駅から見下ろせる交差点かなぁ・・・と勝手に想像してたんだけど、ちゃんと調べたら、目黒通りとの交差点は、中目黒駅から肉眼ではおそらく見えないところだったですよ、てへぺろ。
そんならセンセイはどこの交差点を想定して書いたのか、ですが「滑り込む電車」とあるから目黒駅前の交差点なのではなかろーか、となります。
まあ、これも勝手な想像ですが。
(たぶん『おわゆめ』とかに尋ねるメール出して読まれたてしても「お好きにイメージしてください」と答えそう)

ちなみに上の写真は目黒駅前交差点ではないです。
小ネタ DE ALFEE comments(0) -
いつまでもそのままで。

賢様。
とうとう坂さんとセンセイに並びましたね。
これでお3人そろって「元気高齢者」。
どうかいつまでもその美声でもって
われわれファンだけでなく、よのみなさまを酔わせてくださいませ。

誕生日、おめでとうございます。


ALFEE comments(4) -
北陸遠征ついでに『ブラタモなぞり』 in 福井。
これまで何度か『ブラタモなぞり』をしてきましたが、ほとんどの場合、現地に行けたのは番組放送からかなり経ってから、でした。
例外だったのは2016年11月5日と12日放送の大阪のなぞりの時。
なんと1ヵ月後の年末になぞり敢行! という異例の速さでした(この時この時)。
今回はそれに次ぐ速さであります。
福井編の放送は2019年2月2日で「福井のルーツは “消えた都市” にあり?!」の回。
なんと約10ヶ月後にこう言っていた念願の場所へ行けたのであります!
もうね、去年の秋ツアーの日程が発表された瞬間
「これは私に福井へ行け、という神(お3人)の啓示なのだわ!」
と勝手に解釈して、福井参加を決めたわけであります。

ではそんな福井でのなぞりクロニクル、早速まいりましょう。

まずはオープニング。
駅前からです。
実際に行ったことある方はおわかりでしょうが、この駅が凄い。
そうなんです。
恐竜だらけ(しかもぜんぶ動く)なの!
見て!





(↑)あしあとの化石まである!
そしてタモリさんも半ばあきれたのが駅舎


だいなそーきんぐだむーーーー!!
ここにいると、とにかくやたらカメラのシャッターを切りたくなり、メモリーカードがすぐなくなる危機に見舞われるので、早々に逃げます。
行く先は・・・。
戦国武将「朝倉氏」の本拠地です。
この集落は織田信長によって攻め滅ぼされますが、なんと、遺跡が町ごとまるっと出土した! という驚愕の土地なのです。

そんな凄いところへ、タモリさん一行は列車で向かいました。
我々は市街地に戻ってくるときに乗りましたが、同じ車両っぽい!


福井駅から遺跡最寄り駅の一乗谷駅までは、じつはそう遠くありません。
JR越美北線(九頭竜線)で乗車時間おおよそ20分です。
でも例によってダイヤが・・・。
一乗谷駅のものですが、こんな感じ。
ですので我々は定期運行のバスで向かいました。

さて、朝倉氏のもと栄えた一乗谷は、こんな場所にありました。
「谷」ですね、まさに。

とても繁栄した町だったのでしょうね。
だからこそ信長が攻めてきたとも言えますね。このまま栄えさせたら自身の脅威になる、と。
乱世ですね。
ですから朝倉氏も、ぼーっと生きていたわけではないようです。
例えばこの場所(↓)
巨石のクランク。
クランク、と言えば・・・。

町の両端を城戸で守り、攻めてくる敵に備えていたのです。




ところでこちらは「町まるごと出てきた遺跡」と書きましたとおり、長い土地のほとんどが遺跡です。
なので、叶うなら俯瞰(鳥瞰)で確認したいです。
こんなふうに(↓)。

でないとただただ広い空き地がずっとある−そんな印象になってしまうのです。
でも、我々はちがいますよ! なんたって『ブラタモなぞり』ですから!
こういうの(↓)とか。
こういうの(↓)をちゃんと見ますよ!

(↑)井戸!(↓)

(↑)おべんじょ!(メイちゃんふう)

あ、そうそう。
皆さんは、ここの遺跡がなぜ町まるごと土中で眠っていたとおもわれますか?
たいていの遺跡は一部だけですよね? なのに一乗谷は、ほんとうに集落がまるまる発見されたわけです。
ですから国の「特別史跡」にも指定されています。
その理由とは・・・・。
ずーっと田んぼでフタをされていたから、なんですね。この日は時間が無くて行けませんでしたが、一乗谷駅の近くに遺跡資料館があり、そこに展示されている出土品はとても保存状態がよかったのだそう。
それもずっと水中にあったに等しいから、らしいです。
ギヤマンも出てきているんですって! 

さてタモさんたちが次に向かった先が、わたしがこのなぞりでもっとも楽しみにしていた場所です!
これ!
この「復元」(↓)ですが。
我々が乗った定期バスのアナウンスが力説していたので、わたしもここで言いますね。
「ふくげん」の「げん」の漢字、ここでは「原」なんです!
公式もそう書いてます。
というのも「復元」には、正規の場所から移築したものも含まれるので、場所も当時のままであることに重きを置いたここでは「復原」の文字を使用しているのです!
よろしく!

とまあ、現地の主張はこれくらいにして。
ここは朝倉氏統治下の街並みを再現した場所です。
ここも俯瞰がいいんだよねー。

でもとにかく、ここに来たかったので、わたしのテンションはマックス振り切り! です!






さて、お気づきでしょうか。
この復原街並みは、石垣に土塀、そして門まであります。
ということは・・・。
なんですねー。
でもなぜか、そのお武家様のエリアにこんな家屋が。

これはまごうことなき庶民の長屋。
中は、というと・・・。
テレビ番組ということとて、現地の方の小芝居が。
でも通常は人形です。

奥に子どももいて、でも暗がりだからちょっと怖いんだよね。
で、なんで武家エリアに庶民の長屋が建ったか、を推理すると、町が急速に発展して、人口が増え、庶民の住む土地がなくなってきたので、仕方なく武家区域にも浸出してきたのでは、とのこと。
なるほどですね。



この復原街並み、派手さはありませんが、とにかく歴史のロマンを感じることができてわたしはたいへんに感動したのですが、さらに喜ばしかったのは、休憩所兼簡易資料館ぽいところに、ジオラマがあったことです!




いやあ、嬉しかったなあ。


次に向かうはこちら。
わたしも見たことあって、ようやく記憶と知識が合致した場所。


ひときわ立派な門構えをもつ遺跡。
そうです、ここが朝倉氏−つまり「御屋形様」の御屋敷跡地です。
でも面白いのは、門だけ復元してあとはそのまま、ってところです。
こんなふう(↓)






わたしは単純バカだから、お屋敷も復原すればいいのに、とおもっちゃうんですが、なんでしないんですかね。
大人の事情、ですかね。

にしても、なぜ朝倉氏はこんな山あいの谷でこれほど繁栄したのでしょうか。
その謎の一端に迫るため、次にタモさんたちは福井城跡へ戻ります。
と、その前に、我々が市内に帰る時に乗った九頭竜線と一乗谷駅をちょっとだけ見て。即席電報にもアップしたのと同じ写真だから目新しさはないけど。





そういえばこの列車の車内でグッズのジャージ着てる男子(しかも比較的若い)が居たのね。
そんで目が合ったら会釈されてしまって、なんで?! とびっくりしたんだけど、よく考えたらわたしもツアーバック肩に掛けてたんですよね。
そりゃ、わかるわと。
たぶん彼は福井在住なんだろうけど、あのダイヤの九頭竜線に乗ってフェニックスプラザまで来たんだなぁとおもうと、なんか感動に近いものを覚えました。

そんな余談はこれくらいにして。
福井城です。
案内の方がタモリさんに見せたかったものがここにある、ので来たのですが。
復原された山里口御門(やまざとぐちごもん)です。

その「白い瓦」が実は石でできている、というびっくりな事実。
しかも近くで見られるのです。


石です!
石です!
石なんです!!
この石は「笏谷石」という名の「緑色凝灰岩」で、美しいうえに加工しやすいので、とても重宝されたそう。
あの、一乗谷の遺跡で見た井戸、あの囲いも実は笏谷石で、すでに朝倉の時代から使われていたのです。
そしてその石で商売をして、繁栄したのです。


そういえば一乗谷を貫いて流れていた一乗谷川の川岸には、こんな(↓)石垣も残っていました。
浅瀬の川なのでおもい至りませんでしたが、おそらく当時はもっと水嵩があり、舟で笏谷石を運んでいて、その水揚げ場の石段だった可能性もあります。

そしてそんな素晴らしい笏谷石は、いったいどこで採掘できたのか?
というのでタモさんたちが向かったのが・・・。

わたしも許可を得て撮影しています(笑)
丹巌洞さん!
こちらは料亭なんですが、一乗谷朝倉氏史跡同様今回のなぞりで絶対に来たかったところ!
料亭なんて、偏食女王を自称するわたしのような人間にはもっともハードルが高い空間なんですが、ブラタモなぞりのためなら! というので行きましたともさ!
放送当時、このシーン見て、場所に「ひと目惚れ」したんです! だから現場に立って、ものごっつ嬉しくて!



雨模様で暗かったから余計にいい雰囲気で!



夢中で写真を撮りまくりしていましたが、はっと我に返ります。
いかん、なぞり、なぞり。
そう、こちらは実は笏谷石を切り出した跡地に建った料亭。その痕跡を見ることができるのです。
この(↓)お堂っぽい中に。







丹巌洞さんのある場所は、近代の石切場ですが、この場所を含む足羽山(あすわやま)全体が笏谷石なので、戦国時代も山のどこかから切り出していたのでしょうね。


さて、こののちは料亭でお食事をいただきました。
その写真は翌日に即席電報にアップしたので、ここにはあげません。
ただ、あまりに繊細なお料理で、わたしのようなガサツな人間には分不相応だなぁ、と申し訳なくなった、とだけ申し上げておきます。

これにて『ブラタモなぞり』福井編はおしまいです。
ああ、楽しかったなあ。
てか、一乗谷朝倉氏史跡は、また行きたい。
先日「最強のお城」とかいう番組で一乗谷城が栄えある「最強」の称号を得ていたけど、なんと、お城の跡地まであったことをそれで知ったので、ぜひそこも見たいのです。
それから資料館ね。
そこもゆっくり見たいです。
いつかきっと!

今回もお読みいただきありがとうございました。




ブラタモなぞり comments(2) -
25年。
1.17から25年。
あの日を体験した人々が当時のことを語った記事を新聞が載せているが、せつなすぎて読み進められない。
時事刻々刻々 comments(0) -
きゃーっ( ≧∀≦)ノ
これは行かなくては!
混むだろうけど。
その他のエンタメ comments(0) -
北陸遠征ついでに『ブラタモなぞり』 in 金沢−PART2−。
前回のなぞりPART1.は2015年4月25日放送の「金沢〜加賀百万石はどう守られた?!〜」からお送りしました。
PART2.の今回はその翌週5月2日放送「金沢の美〜金沢は美のまち?!〜」のなぞりです。
とはいえ、たった1か所のピンポイントなぞり、でございます。
番組公式サイトアーカイブにあるこの回の概要
金沢2夜目のテーマは、「美の世界」。
城に日本一バラエティに富んだ石垣があったり、
日本の金箔のほとんどを生産しているという金沢。
なぜこの町に華麗な美の世界が生まれたのか、
タモリさんならではの角度で迫ります。

の中の「城に日本一バラエティに富んだ石垣があったり」の部分にのみ、特化しております!
ご了承ください。


それでは始めますが、まずは「金沢城」の沿革を、ネット上の情報から幾つか引っ張ってまいりましょう。
別名:尾山城、尾上城、金城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:不明(1592年築)
御三階櫓:(望楼型3重4階 1603年築)非現存
築城主:佐久間盛政
築城年:天正8年(1580年)
主な改修者:前田利家・利長
主な城主:佐久間氏、前田氏
廃城年:明治4年(1871年)
遺構:長屋・門、石垣、土塁、堀、移築能舞台
指定文化財:国の重要文化財(石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫)、史跡
再建造物:菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋

築城は天正年間−つまり戦国時代ですが、現代で我々が見ているお城のかたちにしたのは、やはり前田家ですね。
そして前田家が造ったもので残っているのが
・長屋
・門
・石垣
・土塁と堀(PART1.で一部を紹介しましたよ!)
・移築能舞台
です。
その中の石垣、これが「金沢が美のまち」のルーツだというのでタモさんたちは見に行きます。


(↑)なぜこうなったかというと、加賀藩前田家は、徳川幕府の治世260年余の間、一度も改易の憂き目に遭うことなく続いたので、お城に改修が重なり、その時代・時代の石垣が残っているから、とのこと。
こんなふうに(↓)

そういえば、石川門の櫓のところでもありました、積み方が違う石垣。
これ(↓)。
わかります? 左右で積み方が違うの。
面白いですよね。

そしてこちら(↓)の石垣は、初代藩主前田利家時代のもの。自然の石をなにも加工せず、そのまま積んでいる方法で
「野面(のづら)」積みというものです。
ここでタモさんの蘊蓄が炸裂します。

こういう知識が得られるから、ほんとにこの番組は面白くてありがたい。

さて、同じ石垣でも、利家のころはまだ防御のために高く、険しく造ることが最大の目的でしたが、よのなかが平和になっていくと、石垣の意味も少しずつ変わるわけです。
3代目ともなると・・・
専門家の方にこんなこと言わせてしまうように・・・。
ちなみにこのとき背後に見えているのは河北(かわきた)門。
平成22年に再建されたので、めっちゃキレイです。
ま、そんなことは置いておくとして。
その、目的がやや変わってきた石垣ですよ。

このながーーーい建物は「五十間長屋」だそう。
これを支える石垣が・・・
なんですと。
桑子アナも
と言います。
なるほど。では、見てみましょう。



・・・写真がうまくない、というのもありますけど、実はわたしも現地で(そうかなぁ)とちょっと首をひねったんですよ。
そんなにカラフルには感じませんでしたが、当時の人にはカラフルに見えたのでしょう。
そしてその「う〜ん???」なセンスを感じる石垣はまだほかにも。
二の丸の裏手にあたる部分に残る石垣です。

ここには
そう、石の表面に刻印がなされているものがたくさん。

こんなにはっきり・くっきりです。
なぜこんなことをしたのかは解明されていないらしいのですが、一説では
だそうです。
「う〜〜〜ん???」
ですよねぇ・・・。
前田利常さんとは話は合わなさそうだなぁ。

で、3代目はちょっと斜め上のセンスの石垣を造りましたが、5代目はもっと凄いですよ、と専門家さん。
そして “それ” を見たタモさんも
こんなことを言う石垣とは・・・
これですね!(↓)







専門家をしてこうまで言わしめたここを、わたしはこのなぞりでもっとも見たかったので、この前に立ったときは、ほんとうに嬉しかったです!

ところでこの石垣があるのは「玉泉院丸庭園」で、二代目藩主の正室の屋敷があったところに、突飛なセンスの3代目利常さんが庭園づくりを始めた(意外だわ)そうです。
で、5代目綱紀さんが、この石垣を据えたと。
現在の庭園は、江戸末期の姿を再現したらしいですが、わたしの好きな回遊式庭園でとても美しい。


そして色紙短冊積みの石垣もその庭園の一部にちゃんと収まってます。
(写真のいちばん奥)

(わかりづらいですね、申し訳ない)
タモさんも確認してました。


このあとご一行は、金沢の代名詞ともいえる「金・金箔」にまつわる場所へ向かいましたが、そちらへのなぞりは行いませんので、PART2.はこれにて終了。
石垣にのみ、スポットをあてたなぞりなのにこれだけ冗長な記事になって、我ながら驚いております。
お読みいただきありがとうございました。

次回、福井のなぞりはまた今度!
(おそらく18日あたり)

ブラタモなぞり comments(2) -
楽しそうでよかったですね。








休日の朝っぱらから、男性目線だけで構成されたコーナーを、楽しそうに放送してて
「よかったねー(棒)」
な感想しかないわ。
この番組、女性スタッフ居らんのか?
誰もこの構成に疑問を呈さなかったのか?

テレビ番組にひっさびさに本気でムカついたわー。





死霊のはらわたが煮えくりかえる comments(0) -
北陸遠征ついでに『ブラタモなぞり』 in 金沢−PART1−。
こんにちは。
数はめっさ少ないでしょうが
「あれ? 北村の奴、確か金沢と福井で「ブラタモなぞり」する、て言ってたのに記事があがらないぞ?」
と訝しんでくださっていた方、お待たせしました!
ようやく写真の整理ができたので、毎度おなじみ、記事は長いわ写真は多いわで読むのがたいへんなのは重々承知の介のブラタモなぞりクロニクル、まずは金沢編から参ります。
先述しましたが、今回もまた、長いです。
なので、お時間のある方のみ、おつきあいください。
なお、即席電報のほうに遠征日当日や翌日に写真を何回かアップしましたので、こちらでみる写真に既視感を覚える方もおられるであろうことは予めお詫び申し上げます。

それではよろしく!


てなわけで、まずは2015年4月25日放送の『金沢〜加賀百万石はどう守られた?!〜』のなぞりから。
この回のテーマにも出ていますが、皆様もやはり「金沢」と聞けばパブロフの犬で「百万石」が出てくると存じます(以前、他の藩の石高が気になって調べたら、百万を超えているのは加賀藩だけだったのに驚きました。伊達藩でさえ百万には達していないのです)。
それだけ栄えた加賀藩も、幕府が安定する以前の一時期は、滅ぼされるかもしれないという危機があったというのですから、豊臣の重臣だったことで疑心暗鬼になってた徳川の内心のビビりを感じますね。

そんな回は、なぜか長町武家屋敷跡から始まります。
もちろん、行きましたとも。
風情があって、とてもすてきなところでした!!




紅葉も少し残っていてラッキー。
しかもこの町の道はこんな(↓)凄い道!!

今回は、遠征前に録画保存しておいた金沢の回を見直していたので、予備知識はばっちり。このことも覚えていたので、わくわくしながらこの町を歩きました。
ところで家臣のお侍様は、お城のすぐ近くに住みます。ので、この武家屋敷跡はこのへんになります(↓)※タモさんマークが目印
この地図で、お堀は水色で描かれているので、じゃあ、黒っぽい線の、城の周りを二重にぐるりと囲んでいるのはなんだろう? ということに。
その名残のある場所に、タモさんご一行は足を進めます。
それが武家屋敷跡からすぐのここ(↓)


せせらぎ通り商店街、という通りなんですが、実は単なる商店街ではないのです!
タモさんたちは、一軒のビルの階段をのぼり始めます。

このビル(↓)ですね。
「階段をのぼる」この意味がじつはとても重要で、のぼりきった先がまた道、というのも重要。


(↑)日本銀行金沢支店さんの壁(笑)
つまりここには高低差がある、わけですよ。
てなふうに。


さあ、この高低差はなぜあるのか?
その答えはこう(↓)です。


凄くないですか?!
この堀と土塁が、金沢城をぐるりと取り囲んでいたのですよ!
水色線はお堀。
赤い線は土塁。
しかもアホほど高い土塁。

歴史とお城好きな方はご存知『惣構(そうがまえ)』という守りです。
わたしはもうこの場所をこの目で確認できたことにものすごく興奮してしまって、ずっと
「土塁! 土塁! 土塁!」
と繰り返してしまい、この趣味にいつもつき合わされる羽目になる友にまで伝染(うつ)してしまったです(毎度ごめんよ、友よ)。
でも例えばこの(↓)なにげない坂の高低差。
これが400年近く前につくられた、この土地を守るためのものの痕跡、だとおもうと、めちゃめちゃテンションがあがるんですよ!
あと、この商店街のビルたちも、こうして(↓)建てられた、となると。
ビルでさえ愛しく感じてしまうではありませんか。
このあたり、ほどんどビョーキです。すみません。
けども皆様も、これ見たら少しはわたしのコーフンもご理解いただけるとおもうのです、見て!
この場所のグーグルマップですけど、赤い曲線で囲んだ部分。
わかります? 土塁の幅はそのまま残ってるんです!
古地図でなく、21世紀の地図に江戸時代の軌跡!
どうです、興奮しませんかっ?!?!


しかしながら、こんなにがっしり堅固にお城を守っていたら、いったいどうやって城内に入るの? という疑問も湧いてきます。
その答えはここに!
 





金沢市内屈指の繁華街だという香林坊。
金沢公演の日、この近辺で打ち上げした方! ここにこういうものがあることを、ご存知でしたか?
また次の金沢公演に参加される時、ここに立ち寄るのも一興かと存じますので、ぜひどうぞ。


ところで『ブラタモリ』で城下町がロケ地だと、必ずと言っていいほど出てくるのが「用水路」です。
そして金沢の回も例外ではありませんでした。
城下の防災・防衛のため、犀川の上流からかなり大掛かりな工事で用水路を建設した「辰巳用水」が、いまも街中そしてあの「兼六園」内に残っているというのです。

タモさん一行は、その用水路を見るためにやって来たのですが、なぜかまずは金沢城前に。


ここで、兼六園からお城に水をどうやって引っ張ったか、案内役の方から説明をうけてから、兼六園内に行ったのです。

けど実は。
この日は、我々は兼六園には立ち寄っておりません。
なんせ行きたいところが山のようにあったので、わたしも友も何度か訪れた兼六園は
「今回はいいよね」
ということでスルーしました。
でもだいじょうぶ。
この回の放送直後、前勤務先の社員旅行がなんと金沢だったので! その時に(しめしめ)と撮影した写真があるのです!(季節感が真逆です、ご注意)





この時はこの用水路に興奮したのはわたしひとりではなくて、やはり『ブラタモリ』好きな男性社員数名と
「辰巳用水だ!」
ガイドさんの説明そっちのけで盛り上がってしまい、社の代表(2代目お坊ちゃま)にイヤな顔をされたのを覚えております。

番組ではこのあと、その用水を上流までさかのぼり、手彫りのトンネル水路など見ておりましたが、そこに行く時間と車がない我々はここでなぞりを終了し、次のなぞり(放送回も違う「金沢」)へ向かったのです。

ということで4月25日放送の「金沢」の回のなぞりはここまで。
次は翌週5月2日放送「金沢の美」のなぞりをお送りします。
お楽しみに!



ブラタモなぞり comments(3) -
カツ丼のレシピに「タマネギを切る」と書くべきか否か。
一度バズって以来、惑星の公転周期のようにある一定のサイクルでプチバズりを見せる2013年の『ALFEE KITCHEN』ですが、あれが異様にウケたのは、センセイがカツ丼調理に於いて、本来食べやすいサイズに切るべきタマネギを切らず、まるごと親子鍋に入れてしまった部分にあるわけです。
で、我々ファンはもちろん、そうでない世間の皆様もおそらく、タマネギを丸ごと煮ようなどというとんでもないことをしたのが “高見沢さんだから” 面白かった、のだとおもうわけです。
ところでその衝撃の場面でセンセイは訴えます。
「だって書いてないよ、切るって〜〜〜(泣」
これに坂さんは返します。
「書いてなくても切りなさいよ」
のちのち、賢様も言います。
「書いてなくても『歩きなさい』という指示のとき、右足出して左足出して、までは書かないでしょうよ」
ご尤もです。
ですが。
このDVD、わたしも去年の秋ごろまでは、もうセンセイったらホントにお茶目さんなんだから〜〜と心底笑って見ていられたのですが、秋が深まるにつれ、笑っていられなくなってしまいました。

というのも、去年の秋、突然の人事異動により業務を後任者に引き継いだのですが、その際に渡した引き継ぎ書をめぐって
「タマネギ切ると書いてないから、正しいカツ丼が作れません」
的なことを何度も言われるようになったから、なのです。
ええ、そこにはむろん、わたしが作成した引き継ぎ書が穴だらけ、という事実もあります。
そこは素直に認めます。
ですので深くお詫びして、不足部分は追記し、独りよがりな部分はわかりやすく書き直し、要請される表記方法には従い、何度も訂正しました。
でも。
でもです。
例えば
「ここの「書類を郵送する」と書いてあるところですが、封筒のサイズや切手の代金が書いていないので郵送の方法がわかりません」
と言われた時にはさすがに固まりました。
言ったのが新卒の若者ではなく、おそらくわたしと同年代のいい大人、だからです。その人だってこれまで仕事をしてきて、郵便物を一度くらいは出したことがあるはずなのに? です。
なのにその人は
「書いてください」
と言うのです。
しかもその「書いてください」は、社封筒と切手の保管場所、レタースケールの置き場所、郵便料金をどこで見ているか、にまで及んでいました。
ちょっと待って。
社封筒が保管されている棚も、切手の入っている引き出しケースの場所も、レタースケールの置き場所も、郵便料金一覧表が貼ってある場所も、あなた、知ってますよね? それなのに?
ええ、それなのに、です。
「書いてください。でないと郵便が出せません」
の一点張り。
なので、書き足しましたとも。
その人の席からも見えているはずの封筒の保管場所の棚の位置を。切手収納ケース・レタースケール・郵便料金表の位置を。

このとき、ふいにわたしの脳裏に蘇ったのが
「だって書いてないよ、切るって」
というセンセイの言葉でした。
そうか、センセイのアレは天然なのかもしれないけど、でもよのなかには本気で
「書いてないとできない」
と言う人がいるんだ、と知ったのです。
そして年末までに何度もこれに近い遣り取りがあり、かなりウンザリしておりました。
それでも年内にはなんとか引継ぎも終わって、新年からはもう、不毛な応酬はないだろうな、と安心していた本日。
やられました。
税金に関係するちょっと特殊なサイズの書類を扱う業務の引き継ぎ書に「点線に沿って書類を切り取る」と書いたのですが(実際にわたしも切り取っていました)、それについて
「これ、切り取ると書いてありますが、なにで切るんですか? 書いてないのでわかりません」

これにはあきれ果てましたですよ。

切る道具なんて、なんだっていいよ、てか、現代のオフィスで紙を切る道具ったら、だいたいハサミかカッターじゃん、どっちだっていいよ、キレイに切れるんなら! 決まりなんてないよ!
というようなことを、かなり優しく言い換えて、伝えました。
その方は不満そうに
「・・・そうですか」
と自席に戻って行かれましたが、おかげでまた! センセイの
「だって書いてないよ、切るって」
のシーンが脳内再生されてしまいました。
ああ、もう!
あの楽しく面白いDVDが、わたしの中でイヤな体験に紐づけされてしまいつつある・・・!!
やめてぇえええ〜〜(ノД`)・゜・。


とはいえ、わたしはおもい知りましたし、考えを改めました。
或る人の「書いてないとできない」は、わたしから見たら「そんな程度のことを?」だとしても、その人にとってはそうでない、ことがある、と。
自らに置き換えて「書いておいてよ」と言ったことがなかったか? と。
どんな人が読んでも・見ても、わかりやすい説明を書く−ことはたいへんに難しいのだと。
ということで、今後もその手の文章を書く時は、親切丁寧−それもかなり微に入り細を穿つように書こう、と。
おもいましてございます。


ちなみにネットで『カツ丼 レシピ』で検索してヒットした記事の多くにはちゃんと「タマネギを切る」が書かれていましたので、あのDVDのレシピに本当に書いてなかったとしたら、賢様が仰るとおり
「レシピが悪い」
は正しいのかもしれません(笑)。
死霊のはらわたが呆れかえる comments(2) -
Text:©2004 瀬戸際日記Neo.
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