ネタネタバレバレ。
アル友の泪さんがいい記事をアップしてくれたのでのっかってみる。
ツアーが始まるとネット(特につぶやき界隈)のあちこちで陰に陽に繰り返される諍いの、大きな要因であるところの『ネタバレ』について、である。
ということでまずはネタバレに対してのわたしの立ち位置を明らかにしておく。
ネタバレ(曲名・演出・衣装・グッズ等すべて)されても気にならない。
また、ネタバレする人を悪いとはおもわない(チャレンジャーやなぁ、とおもう)。
でも、わたし自身は基本的にネタバレするつもりはない。
とはいえ、静岡の県民歌とか、お約束グッズについてのヒントっぽいことは言ってしまう。
また、秋のホールツアーが終わったらネタバレはしていいとおもっている。
というのがわたしのスタンスである。
くわえてわたし自身のネットコミュニケーションツール(SNS)の利用状況は
・このブログ
・みくしー(ログインしなくなって久しい)
だけである。
つぶやきも顔本も線もインスタも、アカウントを持っていない。

以上が前提である。

そんでもって以前にもネタバレに関することは書いた。
この記事この記事この記事
いずれも怒って書いてるから文体もキツイし、泪さんいわくの「乱暴な」主張をしてる。
というのも、わたしが見ている限りつぶやき界隈には「ネタバレNG」派のひとのほうが圧倒的に多い、のが実感で、とにかくもう(わたしからすると)些細なことでもすぐに
「ネタバレしないで!(キーッ)」
と噛みついてるようにしか感じられなくて
「いちいちうるさいなぁ、もう。そんなに神経質ならつぶやき見ないほうが精神衛生上いいんじゃないの?」
てなことになったのである(各記事にもそっと細かく心情を書いている)。
なので、今回泪さんが
「ネタバレOK派の方が多くて、私たちNG派はなんか肩身が狭い気がする」
と言っているのにはべっくらこいた。
え、そうなん? いつのまにそんなことに? もしかしてアカウントもってる方が見ているつぶやきの世界と、わたしがお世話になってる Yahoo! のリアルタイム検索なんかに出てくるつぶやきの世界は違うの? と。
それか、以前は「ネタバレOK」派はサイレントマジョリティだったけど、あんまりにも「NG」派が主流になったから、これはまずい、主張しとかないと欲しい情報が届かなくなってしまうぞ、と焦って声をあげるようになってきて、その結果、NG派 vs OK派 の衝突が目立つようになったのかも。

いずれにしても両者の主張は対極にあるから相容れることはないんだけど。
泪さんの言うように
「理解できないけど、反対の意見の人もいることわかっておくべき。
お互いがうまく共存できる方法を考えるべき」
が理想なのはよくわかっているんだけど。

そもそも「ネタバレ」というもの自体が曖昧なのが事を厄介にしている。
つまり、どこからを「ネタバレ!」と嫌悪を示すのかが、十人十色・三者三様に違うから。
現に泪さんだって
「グッズも知りたくないって人は本当にネットしないしかないとは思うけど。普通に考えて、セットリストや演出、(ALFEEの場合、コントも?)はNGだと予想つくでしょう。(私は衣装もOK。何パターンかあるしね。)」
というアウトとセーフの境界を挙げてる。

これ、もし・仮に・あくまでも一例として、泪さんがその線引きを根拠に
「今日のたかみーの衣装があーでこーで素敵だった!」
とつぶやいたら
「それネタバレです、やめて!」
てな拒否反応示も出てくるとおもう。
そしたらさすがの泪さんも
「え、衣装くらいで? パターンが違うのに? そんなぁ・・・・」
になるんじゃないかな。
で、ネタバレNGの人のきもちはわかるから衣装の情報にも気をつけようとするけど内心では
(そんなにネタバレ・ネタバレ言うならネット見なきゃいいのに・・・・)

― そういうことだとおもうのだ(泪さん、あくまでもたとえばだからね)。

おなじ「ネタバレNG」派の方でも
・セトリは当然、衣装もグッズも照明もMCも
 すべてなにもかも知りたくないの!
・セトリとMCは知りたくないの! 
 でも衣装・グッズや照明はOK
・セトリはやめて! 
 でもMCくらいまでならまぁいいよ
・固定曲だけは知りたくないの! 
 でも変更される曲ならいいよ
・コントの内容だけは言わないで! 他はいいよ

みたいにいろいろな境界線があるとおもう。
そしてそれは「ネタバレOK」派の方も同じで
・ネタバレの何が悪いのさ。
 全部出すよ、欲しがるひともいるんだから
・セトリや衣装・照明は言わないけどMCはいいよね。
 だって基本的に毎回変わるんだし
・セトリやMCは言わないけど、衣装はいいよね。
 幾つかパターンがあるんだし
・セトリや衣装、照明やMCはダメだけど
 グッズならいいはず。
 だっていずれ公式が出すんだもん

てなふうな各々の線引きで情報提供してるんだとおもう。

ようするに、つぶやきやってない外の世界から客観的に見ていて感じてるのは、この言い合い
「どっちもどっち」
てこと。
ネタバレNG派・ネタバレOK派、どちらの言い分も一理あって、間違ってない。
「なんで? 一般的にネタバレってマナー違反じゃん! 間違ってるよ!」
という声があちこちから聞こえてくるけど、だからその “一般的” の捉え方が違うんだから仕方ないでしょ、という話し。
おもいかえしてごらんなさい? ←賢さまの真似。
法律で禁止されてたってセルDVDの映像を動画サイトにアップするヤツはいるし、盗撮した画像をあげるヤツもいるし、公式からお願いされても肖像権・著作権の侵害はみんなやってるし、ひとさまの画像を平気で使ったりするんだから。
それを特に法律で禁止もされてない、明文化・厳格化されたルールもない「ネタバレ禁止」だけを、みんなで厳格に守りましょうったって、できるわけないじゃん、てこと。

だからしょうがないじゃん。
いろんなひとが居るんだから。
ネタバレしたいひともして欲しいひとも見たくないひとも、そんなことどうでもいいひともいるんだよ(たぶん)。
いろんなひとが居るんだよ。
そのなかにはどうしたって合わない相手は居るじゃん?
そんな時は我慢するしかないじゃん? どんなに楽しい場でも、ひとつやふたつは我慢しなきゃならないこともあるじゃん?
それこそライブでも、あんますきじゃない曲がセトリに入ってたりさ(あ、言っちゃった)、春祭りではペンライトや振付もそうだったよね?(カンレキーズそのものも)
その時もさ、そんなにカンレキーズがイヤならライブに来なけりゃいい、て意見、やっぱり出てたよね?(わたしもそんなようなこと匂わせて書いた)
いまおもえば、それも「乱暴」だったんだけど、あのときの「カンレキーズはイヤ!」なひとたちは、とにかくひとつの我慢も、少しの譲歩も、ささやかな気遣いもしたくない、とにかくイヤなものはイヤ! とヒステリックなほどだったから
「そんなに言うなら」
「来なけりゃいいじゃん」
と言われたんだとおもう。
まあ、その「そんなに」の許容の限度もひとそれぞれだったわけだけどさ(結局そこに行きつく)。


ところで今回泪さんが書いたもののなかで、わたしがこれいいなと感じたのは
自分でも気をつけているけど、それでも不注意で見ちゃったり、感想だけで気付いちゃったりすることはある。しまった!って思うけど、それぐらいはいいや!って思ってる。100%は無理だから。でもやっぱり、不可抗力的なのはちょっとね… どうかわかって下さい。
のところ。
こういう冷静さは、この「ネタバレ論争」に於いては必要不可欠だとおもう。
わたしがこれまで見てきて
「だったらつぶやき見るなや」
と言ってしまったのって、ほとんどがじぶんは絶対間違ってない、悪いのは相手だ、という居丈高な空気のなかから
「鍵かけろ」
「ブログでやれ」
「つぶやくな」
という一方的な物言いなものばかりだったから。

あと、その泪さんもつぶやきのほうでRTしてるけど
このつぶきやき。

これ、たいへんに素晴らしい。
おなじツールの中で共存しましょう、というとても建設的な提案で、つぶやきユーザーでなくても
「賛成!」
である。
ネタバレしたいひとは、これを利用すれば心置きなく語れるし、ネタバレ見たくない派も安心できる。
それに、これ使ってたら、いくらネタバレNGのひとも
「あ、一応気遣いしてくれてるんだな」
て、きもちもすこしは和むとおもう。
なんて平和なシステム!(つーか、これができたってことは、やっぱりネタバレNGのひとは多いんだよ。だからそんなに肩身の狭いおもいしなくていいんだよ、泪さん)


ということで、わたしは今後も基本はネタバレしないけど、秋祭り終わったら、冬祭り前にはばーんとやっちゃう可能性あるから
「それやめてーっ」
て人は、気をつけてね。

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write is life.
ネタ元1:『ブログを書くことってそんなに素晴らしいか?』@基本ライトノベル
ネタ元2:『世の中には「書く」ことが好きで好きでしようがないブロガーがいる』@シロクマの屑籠

いまさら言わなくてもいいだろうがとりあえず分別するならば、わたしはネタ元2のタイプだ。
“好きで好きでしょうがない”ほどではないが、“書くことが好き”なのである。
だからと言って、それが素晴らしいこととも考えていないのだが、ネタ元1のひとのような捉え方もしてない。
てか、そもそもそこまで深く考えて書いてない。
書きたいときに、書きたいことを、ただ、書いている。
そんだけ。
だから整理されてないし、興味の対象は四方八方に向いてるし、偏見に満ちてるし……ようするにまとまってない。
でも、書いている。

書くことが、好きだから。

それからもうひとつ。
書かないと落ち着かないことがある、というのもある。
落ち着かない、というか、すっきりしない、というか。
以前宮部さんの『楽園』を読んでいたら、物語の発端の少年に備わっていたらしい(物語の最初から彼は亡くなっている)、周囲の人びとの体験・記憶を読み取ってしまう能力と、その所為で脳内が飽和状態になるのでそれを絵に描いて消化しているということを、少年が母親に説明したときの言葉に
「ときどき、頭のなかがこういうものでいっぱいになって、ぐるぐるしてくるっていうんですよ。気持ちが悪くなるって。絵に描くと、そのぐるぐるがなくなるっていうんですね。だから描かずにいられないって」

というものがあったが、まさにそんな感じである。
日々のさまざまな出来事に対して抱く想い、考えること。
ふとおもいつくくだらないこと。
むかっ腹のたつこと等々。
そんなこんなで、そらもう頭のなかがぐーるぐる、それらが溜まりに溜まるので、吐き出さずにはいられなくなって、書く――と。

そうして書かれたものは、ブログの記事としてとてものことアップできなかったりするので、実は『下書き』状態のまま保存されていたりしている。
でも、それでいいのだ(バカボンのパパ)。
そういう状況下で書いたものは、ひと様に読んでもらう・もらわない以前に、とにかく書いて吐き出す、そのことのほうが重要だから。
ある種のトランキライザーの役割を果たしているのだとおもう。

そういったわけなので、わたしはこれからもずーと書いていくとおもう。
こうしてネットという媒体に載せなくても、何ヶ月にいっぺんだけ、になっても、書くとおもう。

ただ、すきだから。

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ツッコミ処を持ってはいけない。
どなた様にも『嫌いなモノ』はおありでしょう。
野菜とか動物も、ですが、今回はいわゆる“ファン”の対義語としての“嫌い”なので、ピーマンやにんじんや蜘蛛やヘビ、の話じゃありません。
嫌いな俳優、嫌いな女優、嫌いな芸人、嫌いな作家、嫌いなミュージシャン、嫌いな選手、嫌いな……うーむ、たて続けて書くとすさんだ文章になりますな、でも仕方ない。
つまりそういうことです。
理由はどうあれ、ファンでない対象物に対して、悪く言いたくてたまらん人も居れば、口にするのもアホらしく、見るのもイヤだ、という人もおることと存じます。

で。
けなしたくて、ワルクチ言いたくて、吐き捨てたくてたまらん人は、それはそれでいんですが、だったらそれなりにその対象者についてある程度正しい情報を、持っていたほうがいいのではないでしょかね、という事例に、先日、遭遇致しました。

わたしは酒井順子さんがわりと……と言うかかなりすきなんでありますが、その酒井さんについて
「どうせ『負け犬の遠吠え』書いた三流主婦ライターと同じヤカラの小遣い稼ぎだろ」

という一文を目にしたわけであります。
うーん。
三流か否か、についてはなんともおもわないのですが、でも酒井さんは『主婦』じゃない。
そこんところに、ツッコミいれたくて仕方なくなりました。
『負け犬』を、どの程度読んだのか、はたまた読んでないのかはわからんのですが(なんせこの一行だけしか酒井さんに関しては書かれてないから)、でもやっぱり、この間違った認識のまま、プロのもの書きに対して
『小遣い稼ぎ』
と切り捨てる一文には痛快さは微塵も感じられませんです。
逆に、同じように酒井さん嫌いの同志の方にも
「いや、ちょっとそこ違うけど……」
と、引かれてしまうような気さえするのです。

おそらくこういう場合の逃げ口上として
「だって嫌いだからちゃんと読むのもイヤだし、本人のプロフなんて興味ないんだもの」
てのがあるとおもわれますが、でもそれ言ったら間違いなく
「じゃあ知りもしないで偉そうなこと言うな」
の総ツッコミをくらいますから。
それって、たぶんすごくイヤだとおもうわけですよ。
自身の嫌いな作家のファンにやかましく反論されるのって。

だったら最低限の正しい情報を仕入れて、それをもとに毒吐きしないと。

もし今回の一文が
「どうせ『負け犬の遠吠え』書いた三流ライターと同じヤカラの小遣い稼ぎだろ」

だったとしたら、わたしも普通にスルーできたとおもうのですよ。
けれどもたったひとつの“主婦”という単語が入ってしまったばっかりに、こうしてネチネチと書くほどにイラッとさせられたわけで。
なので、どんなに嫌いでも、ネットで悪く言いたいときは、やっぱり正しい情報は持っていないとあとあと面倒なことになりますよね、という建前的なことで締めくくりますが
「だって“主婦”が『負け犬』という概念で書くわきゃないじゃん。それじゃあ、成り立たないんだから。あの本の根本を理解してないというか、読んでないのがまるわかりで、そのくせ何をもってして『三流』って言うんだよ」
というのがわたしの本音であるのは、みなさんにはもうご理解頂けていると存じます。
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冷やし中華。
始めました。

って、んなワケない。
こっち、こっち。
  ↓



とにかく自身の書いたものには賛同しか欲しくない! というブロガーや無断リンク云々の方々等の一部には評判の悪い『はてなブックマーク』を、今更わたしも始めてみたわけですが、だいぶマーキングも増えてきたこととて、そろそろおおっぴらにすることとしました。

なぜなら、わたしのブックマークは基本
「ブログのネタにするほどじゃあないけど、他の人にも紹介したいなあ」
とおもった読み物を集めてあるからです(基本ね、基本)。

誰しもテレビニュースを見たり新聞やネットの記事読んだり、雑誌のコラムやエッセイ読みつつ、声に出す・出さないはあれど、なんらかの感想は抱くとおもいます。
このブックマークは、そういう感想と一緒にその記事を残しておけるツールで、わたしは便利に使っています。
また、たくさんのひとがブックマークした記事は、他のひとのコメントを読んだりして
「なるほどねー。そういう見方もあるわけかぁ」
と、勉強になったりもします。
そしてそのコメントが、いつも自身の感想と似てたり、イイコト言ってたり、うまいこと言ってるひとを“お気に入り”にすると、その人がブックマークしている記事も読めたりして、自身だけでは絶対に見つけられなかった読み物に出逢える嬉しさも味わえます。

というわけで、わたしのアンテナがそのときどんなところへ向き、どんなものをキャッチしたかがバレバレになること覚悟のうえで、わたしのはてブ『学校で教えてくれなかったことの教科書』を宣伝致すところであります。

ひとつよろしゅうに。

*通常時は、右サイドのタイトルボックスの下で『瀬戸際のBookMark』として、居座っております。


※コメントのタグや、他の人のコメントには『はてな』界独特の言い回し・単語等出てきますが、それらはご自身で調べてください。

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目指すのは“お聖さん”。
元記事:『平仮名表記、片仮名表記、漢字表記に見る書き手の意識』@Ohonoblog 2

ギクッ、としました。
看破されてる……とおもいました。
つまりそれは、ここへわりと頻繁に訪れてくださっているみなさんにはバレバレである、ということですよね?

わたしが【平仮名表記】者である、ということが。

実はこれ、敬愛する田辺聖子さんの書き方の真似なのです。
田辺さんが
『なるべくひらがなで書いて、日本語の持つ柔らかさを表現したい』
というようなことを仰っていて、その言葉にとても共感したので、以来、わたしもなるべく平仮名で表記しよう、と心がけてきて、気がついたら平仮名表記の多い文章を書く者、になっていました。
なので
普通は漢字にするところをあえて平仮名にしている文章を見ると、言葉の字面にも響きにもこだわりのある人なのかなという印象を受ける。でも使い過ぎていると、柔らかさとは逆の頑さを感じる場合もある。

こだわりがある、というのは、わたしの場合はドンピシャ、大当たりです。
でも、そうかぁ。
『逆の頑なさ』を、感じさせる面もあるんだなあ。
むーん。
わたしは別に健気さとかあどけなさをアピールしたいつもりはなくて、ほんとうに、ただ日本語の持つ柔らかさの表現、というところに重きを置いているのだけのつもりなんだけども。

それからもうひとつ。
漢字表記の文章、というと、わたしにはどうしても“社用”という気構えになってしまうのです。
というのも、ブログでは自身のことは『わたし(あたし)』もしくは『ワタシ(アタシ)』表記にしてますが、仕事で文書を作る際は『私』と書く(実際は弊社や当社が多いですが)のがあたりまえであるように、漢字表記の多い文章というのは、わたしはどうしても“仕事”で使うもの、のように捉えてしまい、公私の区別をつけるためもあって、こちらで書く文章には平仮名を使っている部分もあります。

なので平仮名表記の文章は、今後も続けていくとおもいます。

ちなみに、よく反省するのはカッコ類―( )とか「 」とか【 】、『 』、“ ”―の乱用です(今日も使ってしまいました)。
片仮名表記に次いで書き手の自意識が出易いのは、「」の使用である。引用以外で「」を使う場合の多くは強調のためだが、やり過ぎるとかなり鬱陶しくなる典型。やたら含みを持たせているような押し付けがましさが出てくる。

返す言葉もございません(と言いながらも書く)。
これでも反省しております。
どうしてもその言葉を強調したくて使ってしまうのですが、やり過ぎたなぁ、とあとから苦笑いすることは多いのです。
じゃあ控えればいいだけの話じゃん、というのは、なぜかわからないのですが、なかなかに難しい作業であり、つい、使ってしまうのであります。
読んでいて
「ウザッ」
と感じても、どうかそこのところはご容赦頂けると嬉しいです。

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改めての所信表明。
先日コメントを書き込んでくださった山下さんから
『なんかいきなりアクセス不可となって、コメントの書き込みもできないんですが』
というメールを頂戴し、べっくらこきました。

いの一番(死語)で、
『わたくしは、そのような処置を致しておりません』
という返信をしましたが、まてよ、今まで実は誰もそうしてメールくれなかっただけで、何回かそんな不都合があったかもしらんぞ、と、不安に駆られ、改めてここの運営方針みたいなものをお伝えしておこう、とおもいました。


だいたいのことはプロフィール欄に書いてあるとおりですが、確認のため。

◆リンク・コメント・トラックバックはフリーです。
(ただしスパムと判断したもの※は容赦しません)
◆web上に何かを発信している以上、何があっても仕方ないと覚悟を決めております。
◆しかし私個人はURL晒しや炎上煽り行為等を嫌悪しているため、絶対に行いません。

そしてここからをプロフィールにも追記します。

◆スパムや世間の一般常識を著しく逸脱しているコメント※以外は、こちらに書き込みくださった異見・意見を一方的に、理由も記さず、削除は致しません。
◆また、異見・反論の書き込みをくださった方をアクセス拒否するようなことも致しません。
*なので、もし、アクセス拒否を受けた場合は、速やかにメールフォーム(右サイドメニューの【Mail】)でご一報ください。
◆当方のコメント欄に於いて、私以外の方同士での意見交換は容認します。
(罵り合いになった場合はそれなりに処置します)

※スパムと、世間の一般常識を著しく逸脱している、ことの判断基準は、私個人によるのものです(よそ様ではOKだった、は却下致します)

以上のこと、含みおきの上、今後ともよろしくお願い致します。


★アクセス拒否が発生する事例として、ご使用のパソコンがネットに常時接続でない場合に、取得したIPアドレス(ホスト)が、以前スパムを置いていった先のものと一致してしまった場合、あり得るかもしれません。
ただ、それはコメント書き込みとトラックバックのみの拒否です。
★もうひとつのアクセス拒否は、巨大掲示板にはられたURLから飛ぼうとした場合です。
こちらに対しては、アクセス拒否のシステムを利用しています。


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なかよくはできない人。
或るブログの記事とその主(ぬし)さんの主張が、一部の界隈に於いてちょっとした物議を醸しております。

て。
「或るブログ、じゃ解らないじゃん! なんでリンク貼らないの!」
と言われる方もおられましょうが、だってその主さんが
【リンクしないでください】
そんなようなことを言っているんですもの。
「なんなの、その曖昧な言い方はッ!」
そう憤られても……。
だってその主さんが
【転載(引用)は、わたしの主張に同意してくれる方のみに許可します】
みたいなことを仰ってるもので、わたしは同意できないので、おそらくお許しは頂けないでしょうし。
「だから、なんなの、それはッ!!!」

――と、なるでしょ?
なっちゃうよね。

だからなっちゃってるんで。

まあ、つまり、そういうことが起きているとおもってくだされ。


どれだけのひとがそこを読んでいるかはわからないけども、わたしはココの管理人という立場から、一応のローカルルールとわたし個人のポリシーを【プロフィール】の欄に記してあります。
ありますが、だからと言って何かあった場合にそれを盾にして大騒ぎするつもりは毛頭無いし、従え! と強制する気もさらさら有りません。
単なる個人の意思表示(ブログというツールへのスタンスの宣言、こういう考えを持っています、という告知)と、ブログ管理者の責任の意味を込めて書いたまでのことです。
無法地帯にしているつもりでもありませんので。

んで、そのポリシーのひとつに、先様(相手のブログ主)の意向に極力沿う、というのもあるので、今回はそれに従ってリンクもしないし、文章の転載(引用)もしないので、こういうワケのわからんことになっている次第。


どーなんだろうか。
こうやって、おおもとのブログの記事を読んでもらうこともできない、かといってじゃあ引用してこれこれこういう部分が、とやるのも、基本的に自身と主張を同じくする者に限る、とやっちゃうのは。

非常に不自由なんですがね、書いていて。
その不自由さを先方の主様は考慮してくれているのでありましょうかね。

ま、そのへんは別にいんですが。
ひとつだけわたしと相容れない主張の部分があったのですね。
この主さん、ブログを個人の家に喩えてらっしゃる。
だから
「確かに門は開けてるけど、だからって、勝手に入ってきて文句言わないでよ!」
てなことを言う。

これがわたしが受け入れられない部分。
あ、でも別にこの主さんの考えが間違いだとおもってるのではないですよ。
ネットに挙がるマナー云々の話題の多くには“正解”は無い、とわたしはおもっていて、そしてそういう意識(ブログ=個人の家)のブロガーさんもたくさん居ることも知ってます。
けどやっぱりなかよくは、できないなあ。
その主さんが何か言うたび
(じゃあPW制にするなり、ミクシとかに行けばいいじゃん)
とかおもっちゃうから。
すいませんね、度量のちいさい奴で。

ただ、この主さんが少し
「とにかく文句言わないで!」
ブロガーと違うのは
「文句言ってもいいですが、わたしの見えないところでやってください」
というところ。
このへんはちょっとは解ったりも、するし、案外わたしの座右の銘【知らぬが仏】に通じてる気もするのだ。
だからひょっとしたらこの主さんは、もっとデンと覚悟を決めて割り切っちゃうと、なかよくできるひとになるかも、しんない(ダメかな?)。



おおもとの記事を読みたい場合、とりあえず『はてなブックマーク』に行ってみてください。
【最近人気のエントリー】の上位に入ってるかも、です。
あとは「ブログマナー」 「一般常識」等々の検索ワードでググって探す! しかないです。
すいませんね。

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ウチワとソトワ。
昨日の記事にT’sTさんがくれたコメントに返事書いてたら、やたら長くなってしまったので、こっちへ移動。
ゆえにほとんど口語体で書かれるとおもいますが、そこんとこご容赦。
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『タイトル』からです。
元記事:『ブログの記事はどこから書き始めるか?』@すちゃらかな日常 松岡美樹

えと、これって【TB企画】であると解釈していいんですよね、松岡さん?
このところ、立て続けに読み応えのある記事があがるので、わたしとしてはヒジョーに嬉しい限りです。
そんなわけで、年内最後(おそらく)を飾るに相応しいテーマをわたしもとりあげてみます。


◆『わたしの書き方公開します』

と言っても別に特筆するようなことは無いんですが(じゃあ書くなよ!)。

とりあえず、松岡さんが
「どこから書き始めますか?」
と問うてらっしゃるので、真面目に答えると
「タイトルから」
です。

わたしは、タイトルが決まらないと先に進めないタイプなので、まずはタイトルをウンウン唸りながら、考えるのです。
ええ、たとえそれがどんなひねりの無いものであったとしても、です。
なんせ、書く内容はまとまっているのに、タイトルが決まらないためにアップできない、という事例も発生してしまうくらいですから。

なぜかというと、タイトルはその記事の看板で、その看板が人目を引かないとイカンであろう、とおもっているからです。
ゆえになるべくキャッチーにしようと、心がけています。
それが時に行き過ぎて、記事の内容のどこに係ってんねん?! と言われるタイトルが付いてしまうこともしばしばあります。
(むろん、わざとそうしている場合もあります。わかる人にだけわかればいい、という意図があることも、わたしには多いです)

さて、無事タイトルが決まったら、書き出すわけですが、この“はじめの一歩”にも、かなり気を遣います。

わたしの文章構築の【癖】として
『結論から先に言ってしまう』
というのがあるので、導入部ではそうならないようにしている(つもり)のです。

つまりわたしは、『結論』があってエントリを書く、松岡さん曰くの“設計図を作ってから書き始めるタイプ”に近いのです。
ですので、書きたい箇所から書き始めて、前に付け足したり、補足したりする手法はほとんどとりません。
スタートはコレと決め、そこから順々に展開させていきます。
(それなのにあんなオチしかないのかい? というツッコミはあとまわしでお願いします)

それというのも、前の記事でも書いたように、わたしは“何かに触発されて書く”人間なので、結論というか、言いたいことははじめから決まっているわけです(だから最初にソレを言っちゃうのですが)。なのでそれが揺らぐことだけは、ありません。

ただ、決まっているがために、ソレさえ言ってしまえば満足してしまい、きれいに記事をまとめ終える作業を怠ります。
だからわたしの記事の多くは、アタマとオシリが繋がってないじゃん! になってしまっているのです。
(すいません、一応自覚はしています)
このへん“譜面(設計図)の無いタイプ”的要素もあるのかもしれません。
というか、ヘタにくせなアドリブを入れたがるタイプ? どんなに真面目なネタを扱っていても、ボケたい欲求に負けてしまうし。


けどもやはり、わたしは“設計図”無しには記事は書けないタイプです。
なので、書きたい箇所から書き、前へ後ろへ文章が膨らむタイプの書き手は、松岡さん同様、わたしもたいへん羨ましくおもいます。


さて、あなたはどんな書き方をしていますか?








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わたしのアタマはいつもウニ。
参考記事:『自分に気づくためにブログを書く』@すちゃらかな日常 松岡美樹



ここ数日、浮かれポンチッチなエントリばっかりだったので、年内にもう1回くらいはまじめなことを書こうとおもいました。
なにしろ松岡さんのところは、わたしがここを始めたばかりの頃に色々なことを教わった、言ってみればわたしの教科書的ブログのひとつなので、そこで
「人はなぜブログを書くのか」
という根本について論じられているのですから、ここはわたしも改めてそのことを考えてみなくては!
てか、つい最近まで『書けない』状態に陥っていたから、ついでにそのことも冷静に振り返っちゃおうかな、という便乗感覚もありーの、ですが。


松岡さんは当該記事で、ブログを書くことで生じる『自身の気づき』をとりあげ、それを『内発的』と『外発的』に分けて提示されています。
この両方を熟読してみてわたしは
「う〜ん。わたしの場合は『内発的』な部分が大きいかなあ」
と気づきます。
コレまさに『自身の気づき』であり、松岡さんが【本日のまとめ】として書かれた
ブログを書くことは自分を見つけることであり、また他人に気づきを促すための問いかけにもなる。ブログはいわば知的精神の相互扶助ツールなのである。

の実証です。

おお〜(感嘆の声)。

で、ここからはわたし自身のことを書くわけですが、これもまさに『自身の気づき』の結果なわけです。
そもそも、わたしはかなり高い頻度でひと様の書いた文章に触発されてエントリをアップさせています。過去記事を見ればそれはあきらかです。
それってやっぱり、わたしがひと様によって『気づき』を与えられることが多い、ということで、つまりわたしは自身の能力でわたしのアタマの中にある“思考”を整理して自己発信する書き手ではない、わけです。
よーするに、誰かにヒントを貰わないと、己の考えていることをまとめることもできゃしない、まぬけ。

なんか情けないな〜。
だけども、そういうパターンが、わたしが“ブログを書く”時の、もっとも自然体なかたちなのですね。

『何かに気づかないと、わたしは書けない』

気づかせてくれる、読み応えまたは考え甲斐のある出来事・文章に出会わないと発信できないタイプということです。
なので、先日まで不幸のズンドコ……じゃなくて『書けないドン底』に落ちていたのにも、実はそれなりの理由はありました。


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