仙台と大阪で『ブラタモ』なぞり!−その3−
『ブラタモリ』視聴時必要用語の基礎知識−なんてものはとくにありませんが、ひんぱんに出てくるコトバは、確かにあります。
その筆頭がズバリ【河岸段丘】。
漢詩由来の四字熟語のような字面と語感と響きをもっておりますが、れっきとした地学(地理)用語。
学生時代は地理より歴史を選択していた私はこの四字熟語をまったく覚えてなくて、この番組で知ったわけですが、いまでは川沿いの土地に出くわすと、近辺の地形が段々になっていないか探してしまうほどになりました。
そして次が【凝灰岩】。
火山国日本ではいたる所で凝灰岩が顔を出している、ということもこの番組で知りました。
と同時に地層の奥深さと面白さも味わいました。
まことありがたき番組であります。

そしてそして!
教科書に使われるような用語ではないけれど、知識として覚えておきたいのが【直線(の道)をみたら秀吉とおもえ】、なのです。
この教えが最初に使われたのは2016年5月7日放送の「伏見」の回。
秀吉が建てた伏見城城下町に走るまっすぐな道を紹介したときに案内人である京都高低差崖会崖長・梅林さんによって、でした。
わたし自身がこの教えを実感したのは長浜を訪れたとき。
こぶりな街ながらも碁盤の目の道筋に
「おお、まさに!」
と感嘆したのです。

そしてそしてそして!
伏見よりも秀吉の本拠地、みたいにおもわれてる大坂城城下町にも“秀吉イズム”はいかんなく発揮されていたわけです。
だってだって、ほら、下の地図をご覧になって?
江戸時代の古地図とのことですが、見事な格子でしょ?
たとえ豊臣家が滅亡しても、秀吉の引いた道筋は残っている。はっきり・くっきりと。直線マニア・秀吉の美学による街づくりですよ。

つーわけで昨年末に大阪で実施した『ブラタモ』なぞりクロニクル、最後は秀吉が城下町をつくることを選んだ台地のあかしと、その町に残るオモシロい町割りと歴史的遺構を見に行きました。
まずはこちらのルートマップなぞりから。
 銑をたどります。

,痢攵緜台地の北側を歩く】
この、どーってことない通りが台地の北側。
写真ではわからないですが、奥へ向かってゆるやかな下り坂(台地のへりへ向かってる)なのです。

続きましては△痢收个粒段】
ずーと平坦だとおもってたら突如現れる石の階段はこれ(↓)です。
へりです、へり! 台地のへりでございますよ、奥さん!!
タモさん御一行が降りたので、とうぜん我らも降ります。
そして見上げます()
これね。おもしろいんですけど、降りてるときはそんなに高低差を感じないのですが、下から見上げるとあらべっくら!
あんなに高いところから降りてきたんだわ! となります。
実生活でもにたよーなもんですわよね。見下してるほうは無意識だけど、見下されてるほうは神経質なくらい敏感、てやつ。
おほほほほ。

などというくだらない戯言はおいといて。
つづいてが下のルートマップの 銑とイ鬚燭匹詁珊圓。
私個人的には今回のなぞりのメインのポイントです。
なにせタモさんに
「合理的だとおもう」
と言わしめた、道筋(通り)を挟んで向かい合わせの区画でひとつの「町」にした『背割り』。
合理的かどうかは意見のわかれるところとしても、おもしろいことに間違いはない。
時間もちょうどそんな頃合いの、お昼休みはウキウキウオッチングなノリで、直線の道をたどります。

するといきなり。
その場所(↓)は現れます。
タモさんも驚いた街区表示板の並び(ルートマップの 法
その実物。
実際に見ると、奇妙さが際立つのであります。
ではもういっちょ(ルートマップの◆法
町割りの仕組みはこう(↓)いうことですね。
そして、背中合わせになった家屋と家屋の間(上の画面の赤い線のところ)に、秀吉は排水溝をとおしました。
いまでもその排水溝が使われている箇所があり(ルートマップのァ法畋盛沺頁愕笋蝓鵬漆紂曚般召ついています。
この道路(ルートマップのぁ銑イ瞭察砲硫爾法△修稜喊綛造。
そしてその一部は、見えるようになっているのですが・・・・・。
なんと!
師走の外気温度と、この白い囲いの中の温度差のため、アクリルの窓は真っ白く結露しており、見えないのでした!!
うあああああ(泣 なんとかしろー、大阪市ーー!! ヒーターでも使って冬でも見えるようにしろー!!
それでも頑張って撮影したんだけど、どう?
うっすらと石垣と水の流れが・・・・・・見える気がしませんか?
どうもすんません・・・・・・。

で、この下水の施設は、見学もできるんです。

番組でもタモさん御一行はこのドアの中へ入っていました。
なので私も! と勇んで問い合わせの電話をかけたら
「年内は28日までなんですわー」
とのことでした。
とことん、持ってない女です。
でもまあ、見たかった階段や街区表示板の並びは確認できたから、よしとしないと、なのです。


というわけで、全3回にわたってお送りしてまいりました仙台と大阪の『ブラタモ』なぞりは、これにて終了でございます。
相も変わらずの長文でございましたが、お付き合いくださいましてありがとうございました。
さあて、次はどこの“なぞり”をしましょうかね。
沼田とか、行ってみたいなぁ。


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仙台と大阪で『ブラタモ』なぞり!−その2−
わたしの生まれ育った田舎の街は、面前が海で背後が山という地形で、海側から陸地にむけてゆったりとしたのぼり坂で高くなり、頂点ですこし平坦な台地でそのあと山にむかって坂をくだる、そんな高低差がありました。
おそらく海岸線に沿って砂丘っぽいものがあったのではないかと推察されるのですが、ちゃんと調べてないので、是非ともタモさんに来てもらって、あの高低差の謎を紐解いて欲しいものです。

というわけで、昨年末の『ブラタモ』なぞり。
続きましては【大阪(2016年11月5日、12日放送)】編です。
(こちらも旅のルートはコチラコチラでご確認ください)

この【大阪編】は、たいへんにワクワクして見た回でした。
特に大坂城が半島の突端に作られており、その城下町は半島の上の台地につくられていたというくだり。
くわえて大阪駅近辺や、市内随一の繁華街近辺が大昔は海の中だった歴史は、それって江戸と一緒じゃん! 大阪と東京ていう大都市のなりたちがおなじって、不思議! おもしろい! てなふうにワクワク。 
こんなに高くてはっきりとした台地だったなんて!
ここに秀吉が、自身のこのみ(都市経営観念)で以てつくった城下町。その痕跡があちこちに散りばめられた街を、見ないなんて勿体ないでしょ、そうでしょ!
という勢いで、年の瀬の大阪で“なぞり”を実施したのでありまする。


とはいえ“なぞり”の順序としては【ブラタモリ流真田丸探し】が先。
先述でリンクを張ってる番組サイトの旅ルートを頼りに
「このへんが真田丸だったっぽいよ?」
なポイントを目指します(下の地図だとい筬イ△燭蝓法

真田丸の跡地っぽいよ? ポイントを先に探すことにしたのには特に理由はないんですが、強いて言うなら発見されたばかりの【真田丸を描いたとおもわれる絵図】(↓)の影響、でしょうか。
ドラマ放送中にこういうものが見つかるという偶然がこれまたワクワク感を盛り上げてくれたので、謝意を表してこちらを先にした、てことにしといてください。
でもってそのポイント周辺には実は真田の名残がわりとあって、旅ルートの地図にもあるように「真田山町」なんていうまんまな町名もそのひとつ。
また、こんな町名も。
真田丸の出丸周辺に掘られていたとされる空堀が由来だとおもわれます。

ところでわたしが本格的な『ブラタモ』なぞりを行うのはこの大阪で3箇所めなのですが、初めて同胞に出会いました。それも複数。
皆、スマホ片手に同じルートをたどっているのですぐ解る。
さすが『真田丸』というべきなのでしょう。
でもなんかこっ恥ずかしいものもありまさーね。
たとえば、こぉんなフツーの街なかを、グループが複数組、おなじアングルで同じ個所を撮影してたりする光景なんかはモロに恥ずかしい。
それはなぜかといったら、番組でタモさんが
「真田丸の出丸はここ!」
と認定したから。

碓氷峠近辺の分水嶺認定の時と同様、この出丸認定されたお宅の方は、さぞべっくらこいたでしょうね。
お騒がせしております。

また、こちらの坂も大人気。
当日もガラホから実況した坂ですが、ここはタモさんが気に入った坂、だけでなく、空堀のあとではないか、とされている箇所でもあるので、訪れるひとも多いようです。

確かに、坂としてもいい感じ。
そして、そんないい感じの坂の途中にはお寺が建っていて、そのうちの一社はどういう所縁か、やたらと真田推し。
こんな(↓)石碑や
こんな(↓)解説案内板や
こんな(↓)お墓や
こんな(↓)案内が。
うーん、さすがヘイヘイおおきに毎度あり、商売繁盛難波の商人。
なんせ、学校でさえこういう(↓)ものをおっ建てちゃうくらいだもんね。
平成28年、て刻まれてるから、ほんとに建ったばっか。でもそれも仕方ないわけで、この学校には発見された絵図のいちばんひろい敷地のとおりにグラウンドが残ってて、まさに
「真田丸はここ!」
なところだからね。
(画面左側に空堀のあとでは? とされる坂と真田推しのお寺がある)


というところで【ブラタモリ流真田丸探し】はおしまい。
おもいのほか長い時間をかけてしまった探索になったのでオドロキでした。

さあ、次が秀吉の城下町に残る「秀吉イズム」を見に行く“なぞり”です。
と、その前に。
真田丸探してたら、すごくおもしろい坂発見!
写真奥の坂の勾配の激しさといったら!
番組ではとりあげられなかったけど、これも真田丸に関係してるのかも。
なんせこのあたりは空堀だったり、堀だったりと戦(いくさ)に備えていろんな対策がなされたところだろうから。
うわぁ、そう考えると坂道って、ほんと、ドキドキする。

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仙台と大阪で『ブラタモ』なぞり!−その1−
ちかごろ、まちなかで坂を見るとドキドキワクワクするようになってしまった『ブラタモリ』脳まっしぐらの北村です、こんにちは。

(一般的に)松の内も本日までということとて、本年一発目の記事は、昨年の師走にたてつづけて『ブラタモリ』でとりあげられたスポットに行ってみた“なぞりもの”、でいきたいとおもいます。
おもいますのですが。
それぞれのメインはウチのおじぃたちのライブでしたので、遠征にかこつけてちゃっかり寄り道、なので、完璧な“なぞり”というわけにはまいりません。
それでもわたし自身が
「ここだけはどうしてもこの目で確かめたい!」
という場所には行けたので、たんなる自己満足レベルの“なぞり”でありますこと、予めお詫び申し上げておきます。

では、そんな自己満程度具合な“なぞり寄り道”、とっとと始めることと致しましょう。
まずは【仙台(2015年7月11日放送)】よりスタート!
(旅のルートはコチラでご確認ください)


この日のテーマは『伊達政宗は“地形マニア?!”』ということで、政宗公が城下町を作る際に仙台の地形をうま〜く利用していた、ということを検証する街歩きでした。
特に興味深かったのは“水の確保”についてです。
この“水を確保する”というのは、その土地を治める領主にとっては欠かせない事案で、この番組でも何度もとりあげられてきました(例:金沢の辰巳用水、小田原の小田原用水、沼田の用水路)。
仙台でもそれは同じで、政宗公ははるか山奥から城下町まで四つの谷を越える用水路を引いて、領民の生活に潤いをもたらしたわけです。

というわけで、この番組を見てると自然に「用水路」に関心が湧いてくる(モノが“水”だけに)ので、この用水路も見てみたいなぁ! とおもったのですが、なにせ水源付近や開渠で残ってる用水路は街なかからはかなり遠い。
車という機動力がないと、ちょっと・・・・・・いや、かなり厳しい立地条件なので、とりあえずわたしの生身の足で行けるところだけを確認しよう、ということにしました(いつかあの水源付近や、用水路唯一の開渠が見られたらいいな)。

さて、その用水路の跡地や、用水の活用の現状が確認できる場所は仙台駅から歩いて行ける繁華街のなかにあるのでした(地図内のとぁ法


まずはい痢悵軻参(いろは)横町の井戸』。
(番組のタモさん御一行)
(実際に行って撮った現地)
映像で何度も見た現場に立つと、やはりドキドキ致しますですね!

そしてお目当ての井戸!




今も現役で地下水を汲みあげる井戸ポンプ。
この水は、四谷用水がもたらした思わぬ恩恵の地下水という解説が、番組内でなされていました(水をとおしにくい岩盤の地層と、水をとおしやすい砂礫層のはたらきが云々・・・・・・というとても専門的な話。桑子しゃん同様、よくわかりません)。
ひとしきりポンプを漕いで、意味なく水を放出し、手で受けて、そうか、この水は400年近い歴史の証人なんだなとじんわり感動。
これもまた、現地でこそ味わえるものでしょう。

このあと、この地下水を利用していると紹介された鰻屋さんを探したのですが、残念。
午前中であったため、この横丁全体がまだオヤスミモード。
ほとんどのお店が開いてません。なので、鰻屋さんも発見できませんでした。
そのかわり、面白いお店に遭遇することができました。
番組には関係ないけど、ちょっとだけご紹介。

まずはこんな看板を掲げるお店。

「店主が眠くなるまで営業します」
という【昭和レトロバー】。
なるほど、懐かしいったらありゃしない看板の数々。
グリコの牛乳瓶入れも、昭和生まれの人間にはたまりませんね。

そしてこちらはウチのセンセイなんかが気に入りそうなお店。

画面左側でピンボケしてるポスターは【ガンズ&ローゼス】の追加公演のお知らせだったりしています。
ちょっとなかを見てみたいですね。


こういったお店もあるこの横丁。
次回は是非とも各店舗がオープンしてから訪ねてみたいものです。
きっとまた違う顔が見えて楽しいはず。


さてお次は、今回、井戸よりも見てみたかった用水路の跡地を訪ねます!(上の地図の)。
題して『仙台で一番にぎわうアーケード街に残る用水の痕跡』。
伊達家が治めていた時代、このあたりは用水路を挟んで、武士の街と町人の街とにはっきり区分けされていたとか。
その境界の意味もあった用水路の跡が、繁華街のなかに! というとてもワクワクするシチュエーションなのです!
これは絶対に見たい! となるでしょ、そうでしょ!!
番組ではこんな感じで紹介されていました。

そして現地はいともあっさりとフツーにわたしの目の前に現れます(まあ、あたりまえなんですけども)。
でも、わたしにはたいへん嬉しい現地なのです!
ここに昔は用水路があって、右と左とでは街の趣旨(?)が違っていた、わけですから、いろいろ妄想逞しくなるのです。
というか、歴史好きは妄想力が高くないとやってらんない趣味なのです(断言)。

ところでこういう繁華街ではなにに苦労するかといったら、人の流れの途切れる瞬間を待つ、ことです。
こういった歴史的におもしろい箇所を撮影するとき、なるべくなら現代人が写りこまないようにしたい、と願うのはしぜんなきもちなわけで、この時も、かなりの忍耐を強いられました。
なにせ休日の繁華街。まったく人がとおらない瞬間、にわたしは巡り合えなくて、ようやく撮れたのが下の3枚でした。


まあ、こんなもんでしょうかね。
とにかく仙台では、この用水路の跡地には絶対に行きたい・行くのだと決めていたので、この目で確認できて満足したのでした。
ばんざーい。


【大阪編】は次回へつづく!


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『ブラタモ』なぞりやってみた−その弐−。
といったわけで『その弐』です。
引き続き旅のルートはこちらで確認して頂くとして。


なぞり旅2日目は、鉄道に関するルートへ参ります。
今回の旅で、わたしが
「とにかくそこをこの目で見たいの!」
そう熱望していたのは、初日の“分水嶺”と、本日のここ!(↓)
明治の鉄道遺構、レンガ造りの橋なのでした!(※生憎この日は曇りで、写真が暗くなってしまってます)
通称めがね橋。
ここはもう、番組見ながら
「ここ行きたーい、行こう、ぜったい!」
即決したポイントです。
こんな素晴らしい鉄道遺産があるってことをこれまで知らずに生きてきて、ホント、もの知らずな己が情けなくなりましたのですが、こうしてちゃんと確認することができました!
素晴らしい! とにかく素晴らしい!!

明治〜大正時代はレンガの建造物が多く造られましたが、その建築技術は現代のそれに引けはとらないと感じます。いやむしろ、上回ってるかもとすら。

この橋の上は現在は遊歩道になっていて、もちろんタモさんたちも上がっていましたので、我々も。
上からの景観を普通にパチリ。

それとオカンのコンデジの機能“ミニチュアライズ”でパチリ。

そして橋の上。


実はこの橋の上をはじめとするこの線路跡はいま『アプトの道』というハイキングコースになっていて、トンネルの先もずーっと歩いていけるのです(その始・終点がこのあとの目的地)。
そんなわけで我々も少し歩いてみます。


道は緩やかですが、ずっと傾斜しています。
面白そうなので、次回はこの『アプトの道』ハイキングコースを制覇してみようとおもいました。
夏あたりに歩いたら、気持ちよさそうです。


さて、このめがね橋を満喫したあとはタモさんたち最後の立ち寄り先でもあった場所へ。
『碓氷峠鉄道文むら』!
ここでタモさんは機関車を運転体験してましたが、わたしはそこまでは致しません。
でも、タモさんたちが見たものはぜんぶ見た! はず。
例えばタモさんが力説していた【アプト式】レール。

この歯車で車両を引っ張り上げていたのですね。
で、この歯車に乗っかってたのがこの車両(↓)

(駆動音「ダンシ・ジョシ、ダンシ・ジョシ!」)
いやぁ、凄いです。ボキャ貧ですが、凄いとしか言いようがない。

そのほかにはデゴイチもあったりします。

あ、そうそう。
さすがにこのあたりはまだ桜が残ってて、この施設も見頃でした。


この、桜の下を走る列車に、のちほど乗車しましたが、その前に機関車の運転席にも座りました。
たぶんタモさんが運転したのと同じ車種だったはず。
撮影が妹たちなんで、イマイチ列車に対する熱がこもってなくて、ここでの撮影点数が凄く少ない。
なのでいろいろ確認したくてもできないのが哀しい。ああもう、ほんとになんでSDカードを失くしちゃったんだろう。
貴重な画像データがたくさん入っていたのに・・・・・・。
などと嘆いてもアフターカーニバル。


施設には、外周をぐるっと一周する小型のSLがあります。
それがさっき桜の下を走っていた赤と緑の車両の『あぷとくん』。
ちゃんと石炭が燃料です。
煙突から出てるのもほんものの煙。だから風にのってくるととても煙い。
けど可愛い姿なので、喜んで乗り込みます。


一周は約800mだそうで、ゆっくりゆっくり走ります。
車窓からは桜がより近く見えます(でも煙い)。


時折警笛をポッポーと鳴らします。
去年の愛媛・松山の坊ちゃん列車をおもいだします。


施設には資料館もあって、ジオラマもあります。
ほかにも絶妙な鉄道グッズを売っているお土産屋さんもあり、なんともいえないビミョーな楽しさを醸し出している『碓氷峠鉄道文化むら』。
小さなお子向けの乗り物遊具もあるので、手軽に遊びに来られるいい施設だとおもいました。


というわけで『ブラタモ』なぞりは無事に終わりました。
ほんとはちゃんと坂本宿も行ったのですが、そこはおかんも妹も写真を撮ってなかったので、画像が出せません。悲しい。
でも反省して、次回は上田市か沼田市でなぞりを実施したいとおもっています。
(上田は今春ツアーに入っているので、遠征からめて行きたかったんだけど、できなかった。上田参加する方、是非『ブラタモ』なぞりをお試しください)




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『ブラタモ』なぞりやってみた−その壱−。
わたしがいまいちばんすきで楽しみなテレビ番組は『ブラタモリ』であります。
なんとシーズン1から全部録画して保存してあるほど、すきなのです。
でもって、シーズン3までは都内をメインに関東近郊でタモさんはブラついていたので、それを目的としなくてもなにかの拍子に
「あ、こここないだ『ブラタモリ』でタモさん歩いてたところだ」
という偶然で、意図せずに“なぞり”ができてたりしましたが、今シーズンからは全国津々浦々にタモさんがお出かけするようになったので、これまでのようにはなぞれなくなったわけです。
でもまあ、タモさんが行ったところにはぜんぶ行きたい、ぜんぶ! というほどではないので、いつかは行けたらいいなぁ、くらいで見ていたのでありますが!
去年(2015年)11月21日放送の『軽井沢への道』の回を見てしまった日には!

「もう、ぜったいぜったい、行きたい!」

になりました。
なので、雪が溶けて川になって流れてゆきますな春を待ちわびて、先日ようやく、行ってきましたー!!
ヒャッホー!
というわけで、ここからその【『ブラタモ』なぞり】の全容をご覧いただきましょう・・・・・・と言いたいところですが、なんと。
わたしがとんでもないポカをやらかしまして、せっかく撮影した数々の現場写真のデータが入ったSDカードを紛失してしまいました。
ああああ、もうなんてこったい! なのですが、救世主は居た。
一緒に行ったおかんと妹です。
ふたりもそこそこ撮影していたので、今回はその写真データを拝借して、臨みたいとおもいます。
(仕方ないことだけど、借り物なのでわたしが欲しいアングルが全部揃っているわけではないです)
とりあえず、タモさんたちの旅のルートは、上でリンクした番組公式サイトで確認して頂くとして。

まずは碓氷峠の県境。
当日も写真をアップしましたが、ここには長野と群馬の県境があり、熊野皇大神社の境内をその境界線が走っているのです。おもしろい現象(?)ですよね。

江戸の昔から国境だった、というのも歴史のロマンを感じます。

でもってこの神社からちょっと進んだところにあるのが、『タモさん認定“分水嶺”』。
地理の授業をおもいだした人もそうでない人も、とにかくここで、降った雨の流れが太平洋側と日本海側に分かれるのです!
ここ、ここ!!(↓)
このお宅の人はべっくらこいたでしょうねぇ。
まさか自宅の前の道をタモリさんに“分水嶺認定”されるなんて、おもってもみなかったに違いありません。

このあとはすこし戻って見晴らし台へ。
当日は快晴だったのですが、春の霞で見通しはちょっと・・・・・・という状態でした。残念。

富士山が見えることもあるようです。

番組では、タモさんと桑子アナがここの前で写真撮ってたので、我々も。

でもってここのあとは「いちにちじゅうやまみち」こと旧中山道。
タモさんたちはかなりな距離ここを歩いていましたが、我々はちょっとだけ。
けどこの道も江戸の頃の面影が残っているのかと感慨深いものがありまする。
いまおかんと東海道53次ウォークやってる(先日無事、箱根越えました)ので、余計にしみじみ致しました。


ということで、一日目はここまでに。
いや、わたしは当初日帰りで決行しようと考えていたのですが、妹が
「日帰りなんてぜったいムリ!」
と主張するので、運転をお願いしている手前、その意見は最重要視して、軽井沢の名ホテルへ宿泊しました。
軽井沢の名ホテル、と言えば・・・・・。
そうです、ここです。

横浜グランドホテル、箱根富士屋ホテル、奈良ホテル等と肩を並べる国内屈指のクラシカルホテルです。
館内もいたるところいい雰囲気。
おもわず撮った(わたしが、じゃないけど)写真をこんなふうに加工したくなります。





ホテルのカフェでいただいたお茶のカップとソーサーには、ホテルのシンボルである鈴蘭があしらわれています。(↓)

ホテルの人のはなしによると、我々が宿泊した日はとても暖かくて天気も良く、ラッキーとのこと。
なんでも4月上旬の軽井沢はほんとうならまだ“冬”で、雪が降ってもおかしくない気候なのだとか。
実はうちのおかんは強力な「晴女」なので、今回もそのパワーは発揮されたようです。

てなわけでひとまず初日でいったん記事をアップします。
でないとまた長文モノになってしまうのでね。
続きは『その弐』でお楽しみください。


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瀬戸際的東海道中膝栗毛。其の四−神奈川→東戸塚−
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ああ・・・・・・こんにちは、旦那。
いえね、この暑さでしょ、あたしもおっかさんも冬生まれだから、どうにもからだがついていかなくて、ちょっと休んじまいましたんですよ、あいすみません。
いま、冷たい白玉をお出ししますよ、そこにおかけになってくださいな。
ふう、しんどいこと。
え? おめぇも歳だなぁ、て? そうですよ、今さら何をおっしゃってるんです、あたしは旦那の奥様よりもずーっと年増なんですよ、はばかりさま。
日ごろ若く見て頂いてるのはうれしいことですけどね。

で、今回も旅の話ですか?
嬉しいですねぇ、毎回きちんと聴いてくだすって。
ええ、ええ、今回は神奈川宿から東戸塚までの10kmくらいでしたかね。
ただねぇ、旦那、もう暑くて暑くて。
あたしもおっかさんも、もうぐったりでしたよ。
ああ、はいはい、旅写真はこちらです、ご覧くださいまし。
ただねぇ・・・・・・今回のルート、東海道の名残のものがほぼ残っていないんですよ。一里塚の木すら、なんです。
なんででしょうかねぇ。とてももったいない気がしましたよ。
ですんでね、写真も説明の看板ばかりになっちまってます。
こんなのや

こんなの

こんなのばかりで。

でも時々ね、当時の名残のあるものもありますよ、たとえばこのお店。
街道沿いにあった茶店が前身で、そののち料亭になったそうなんです。
お江戸の昔から、ずーとここにあったんですね。
ほら、看板にも創業年干が。
こういうのは見てて嬉しいですよねぇ。

それよりもあたしはね、これまでの街が
「ここは昔の東海道でしたよ!」
というのを猛烈にアピールしてたのに対して、この神奈川宿から東戸塚までの街ときたら、んまぁ、淡泊だってことに驚きましたんですよ。
あちこち、至る所に『旧東海道』の文字が見えていたたとえば品川や川崎違って、横浜駅周辺やら天王町付近ときたら、所々にこういうものがあるだけなんです。

あっさりしすぎてるんですよ。
この近辺の方たちはあまりこういうことに興味がないんでしょうかねぇ。
ここなんてね、東海道と八王子道の分岐点の“追分”てところなんですけど
いまでもちゃんと道別れしてるんですよ、なのに、この目印しか残ってない。あっさりしたもんですよ。

ああでも、帷子のほうに行くと少しはね、それらしくしたものもありました。
そう、それ。それです。

広重の絵でも知られた新町橋を、なんとか残そうとしてくれてる姿勢が、嬉しいじゃないですか、ねぇ?



それからこっちですよ、旦那。
このルートでは珍しく当時のものの現存である道標。
金沢方面、横浜方面への目印の石碑です。
たまーに、こういうものが出てきたりします。

え? 権太坂? おめぇたちも登ったのか、って? いきなりですねぇ。
ええ、ええ、歩きましたとも、当たり前です、歩かなきゃ先へ進まないんですからね。
写真も撮りましたけど・・・・・ご覧になります?

ね、あまり写真だと斜度が伝わらないんですよ。
あすこは実際に歩いて登ってみなけりゃわかりませんて。
毎日毎日歩いてる地元の方はお偉いですよ。

けど、さすが旦那だ。
このルート最難関の権太坂のことをご存知でらっしゃった。
ねぇ、この坂もあって今回あたしたち母娘、ちょっとオーバーワーク気味になっちまったんです。
そのせいでこのあと、あまり写真も撮る気が起きなくてねぇ・・・・・・。
まあ一応、武相国境(くにざかい)のモニュメントは撮りましたけどね。





あ、その交差点はね、国境ですよ。
横断歩道の向こう側が相模の国で、こちら側が武蔵の国。
おもしろいでしょ、こういうのも。

まあ、今回はあたしたちが疲れきっちまったんで、あんまり話がなくてすみませんね。
とにかくもう、暑くてねぇ。
あたしらは夏は苦手ですから。
旦那は夏、すきそうですね。ああ、やっぱり。
はいはい、白玉のおかわりですね、今お持ちしますよ、よっこらせ。



【おまけ写真】










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瀬戸際的東海道中膝栗毛。其の参−川崎→神奈川−
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あら、旦那、いらっしゃい。
そろそろお見えになる頃合なんじゃないかとおっかさんと噂してたんですよ。
ええ、ええ、おっかさんもあたしも変わりはありませんよ、おかげさまで。
さぁ、とにかく座ってくださいな、今、お茶いれますからね。
今日のお茶請けは、♪六郷渡れば川崎の万年屋、鶴と亀とのよねまんじゅう、こちゃ神奈川急いで保土ヶ谷へ♪のよねまんじゅうですよ、亀屋のほうの。
はい、そうですよ、神奈川宿まで行ってきたんですよ、いやですね旦那、それをご存知でいらっしたんでしょ?
おや、そうてすか、違うんですか。
じゃあそういうことにしておきますよ、はいはい。

さ、どうぞ、粗茶ですが。
あと、こちらよねまんじゅう。ご遠慮なさらずどうぞ。
あたしもちょっと腰を据えますからね、よっこらしょと。
あらいやだ、口癖が「よっこらしょ」になっちまったわ、あはは。
さて、川崎宿から神奈川宿までこないだおっかさんと川崎詣での帰りに足を延ばしたんですけどね。

そうそう、また旅写真もありますから、ご覧くださいましな、はい、これ。
あ、そちらは川崎宿の街に掲げられてるものなんですよ。
前回の品川もそうでしたけど『旧東海道』ってのは、かなり誇り高いものなんですねぇ、地元の方にとっちゃあ。
ほら、あっちこっちに。




あ、それは小土呂橋の名残。
新川堀に架かっていた石橋だったらしいですねぇ。

それから川崎宿の説明と関札の説明がこれですね。



それでですね、旦那。
この小土呂橋からずーっと・・・・・・市場一里塚近辺まで、道がまっすぐ続いていたんだそうですね。
その距離ざっと「八丁(870m)」。
だから『八丁畷(なわて)』と言われるようになったと、こういうわけですよ。
あら、そんなこたぁ常識だ、ですか? まぁ、失礼しました。

じゃあこっちをどうぞ。
その市場一里塚の石碑ですよ。



この一里塚を過ぎると鶴見川で、越えたらもう鶴見村で、すぐ神奈川宿ですよ。



鶴見村には関門跡がありましたよ。
おもしろいですよねぇ、開国したばかりだから外国人に対してピリピリしていたのがよくわかって。



そのピリピリの空気の中で起こっちまったのが【生麦事件】ですよね、有名な。
そうそう、その案内板ね、個人のお宅の塀についてるんですよ、ちょっと可笑しいでしょ。


でももっと可笑しいのは、その事件碑がいまはちょっと移動させられてる、てことですよ。
なんでかって?
そりゃ旦那、あれですよ、あ・れ。横浜環状北線、あの大きな道路工事の建設。
その工事が行われているあいだは仮設の位置にあるんですってよ、歴史的記念碑も道路様には適わない、ってね、あははは。

とまあ、今回の川崎⇒神奈川の行程はこんな具合ですよ。距離は10kmちょっとで、所要時間は5時間くらい。
え? ですからお土産はその『よねまんじゅう』ですってば。
なんですよ、足りないと仰るんで? いやですねぇ、旦那。食い意地ばっかり張って。
じゃあこのままうちで昼食(ちゅうじき)も召し上がっておいきなさいよ。たいしたものはありませんけどね。
おっかさん、おっかさーん、旦那がお昼召し上がるって! ご用意してちょうだいな。






【おまけ写真群】




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瀬戸際的東海道中膝栗毛其の弐。−品川宿→川崎宿−
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第2回目、行ってきました。
初回の天候とはうって変わった快晴の“お出かけ日和”の青空のした、江戸時代におもいを馳せながら一路、川崎宿までの道のりを歩ききりましてござーる(まだこのシリーズのキャラが定まってない)。
所要時間(休憩や所縁のスポットでの講釈拝聴時間も含む)は約7時間。
歩行距離は約12km。
私的にはそんなに辛い時間と距離ではありません。
以前、奈良で『山の辺の道』を歩いた時がもっと長くてさすがに疲労困憊だったので、それに比べたら今回の行程はハイキングレベルであります、おほほほほ。
(今朝もどこも痛くないもーん)

という調子にのりまくって完歩した今回の東海道中。
前回よりは撮影スポットが多かったので、ご覧頂きたく、写真アップするのであります。

スタート地点の品川宿本陣あとの説明。

品川から大森海岸にかけての一帯は
「東海道は此処を通ってましたよ!」
を最大の売りにしているので、そこかしこにそのアピールがあります。
電柱にももちろん。

道路に余裕があればすかさず。


また、街道筋には神社仏閣も多かったようで、その施設は現代にもそのまま残っています。
そのなかには、かなり特殊なエビソードを持った逸品もあり、この梵鐘もそのひとつ。

【品川寺】(ほんせんじ、と読みます。浅草寺と書いて せんそうじ と読むのと一緒な意地悪具合)の『洋行帰りの鐘』です。
慶応年間にパリで開かれた万博に出品された鐘で、万博後に一時行方不明になっていたのに、なぜかスイスのジュネーブで発見され、無事に帰国できたというもの。
普段は鐘楼に近づくことはできないのですが、今回はとくべつ許可でここまで近くで撮影させて貰えました。
こんなようなオイシイ扱いがあったり、面白い話を聴けるのもこのプランの有り難いところです。

それから江戸時代の遺跡としてこの近辺でもっとも名高いのはここでしょうかね。

うちのオカンも、なぜかここを楽しみ(?)にしていた様子。なぜだ。
この史跡には当時の処刑台の礎石があったりします。
磔台の礎石。

火炙り台の礎石。

石の真ん中のくぼみがなんとも。
ツアコンの方に教わりましたのですが、この鈴ヶ森刑場は、東海道というメインの大通り沿いにあったわけで、江戸を出る人、江戸に来る人、そのどちらもここで執行された罪人の処刑やら晒された生首を見ないでは通れないという立地条件。
いくら見せしめとはいえ、それは
「正直、しんどい」。
なのでわざわざ中山道や甲州街道に迂回して江戸出入りする旅人も少なくなかったとか。

なお、このさきの六郷の渡しで多摩川(当時は六郷川)を越えてしまったらもう江戸ではなくなるのですが、その名残を惜しむのか、それとも先行きの道程(みちのり)を噛みしめるのか、梅屋敷跡にはこんな石碑が。

先は長いなー。

そして現代は渡し船ではなく、徒歩で渡る多摩川。


そしてついに川崎に!

ちゃっかり写り込むオカン。


そんなこんなで、無事に川崎宿に着きまして、第2回のウォークは終了。
今回もなかなか有意義な一日となりました。
なにより天気が良かったのが大きいです。やっぱ雨はテンション下がるもんなあ。
そう考えると当時のひとは必要に迫られていたとはいえ、悪天候でも歩き続けたのだから、やはり偉いですよ。
ひ弱な現代人であるわたしなんぞは、帰りの京急線からの車窓にこの日歩いてきた道がずーーと見えていて、そこを逆走してあっという間に帰り着くことに己で己を全否定している気になってしまって少しトホホなきもちになってしまったくらいですから。

さて次回は神奈川宿までの行程。
次もよい天気でありますように。
のんのん。


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瀬戸際的東海道中膝栗毛。

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まずは第一回『日本橋→品川宿』を歩いてきました。
曇りのうえに風が冷たい、というイマイチな天候でしたが、まあ、そこそこ楽しいウォークでした。
ルートは上の地図に見える赤イランのとおり(ライン上に入っている短い横線と横線の間が約1kmです)。
つまるところここが『東海道』。遥か京まで続いているわけです。
その起点は今は【東京市道路元票】になってます。



さて、東海道沿いにはよく行く丸善書店も、アル中的に足を向けて眠れない【山野楽器】様もあります(ちなみにアイランドギャラリー】様は街道からほんの少し、奥に入ってます)。
次回、山野様へ行く折には、その場所のことをいま少し心で味わってみることと致しましょう。
あ。そういえば『ブラタモリ』で確か銀座(中央通り)の道幅は、江戸当時の街道幅を再現してある、と言っていた記憶があります。そのことも加味して。


今回のウォークは、途中寄り道をして、要所要所で解説など聴きながらというタイムスケジュールでしたので、4時間ほど要しましたが品川宿がゴールでした。
もしもこのウォークが、ただひたすら歩くだけのものであれば、もう少し先までは行けたかもしれません。と言っても川崎は無理でしょうが。
けれど、江戸時代の成人男性ならば夜明に日本橋を発ち、平塚くらいまでは一日で歩いたらしいです(女性でも保土ヶ谷あたりまでは行けたそうな)。ほんとに健脚だったのですね、凄いことです。


さて次回は品川宿から川崎宿までの行程。
距離がぐんと長くなります。
今回は筋肉痛は出なかったけど、次はどうかな〜〜(ドキドキ)。


おまけ。増上寺の桜と東京タワー。
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キタさん×キタさん。

【関東発 東海道五十三次を歩く】

ついにこの領域に足を踏み入れてしまうのである(歩くツアーだけに)。
中高年の趣味の王道まっしぐら! 的な。
言いだしっぺはオカンであるが、わたしも歩くのすきだし、歴史もすきだし、健康的だしと、いいことのほうが多いので、乗ってみることにしたのだ。
なにより、土日祝日の敢行及び行きたいところだけ参加もOK! というフレキシブルさが魅力。
ということで早速今月の連休が第一回ですよ、奥さん!
日本橋〜品川宿という8.8kmの行程だ。
ここをてくてく行ってくるよ。
そんでその後の品川宿〜川崎宿、川崎宿〜神奈川宿までは続けて参加するつもり(ツアーと重なってしまったらツアー優先だけど)。

あと、絶対行きたいのは静岡県内のツアー。
予定では来年の春になるそうだが、それでも行きたい。静岡は宿数が街道沿いでいちばん多いから歩き甲斐もあるだろうし、なにより我が故郷だもの。
これはやらねばなるまいよ。
さあ、北村母娘のダブルキタさんの東海道中、如何に如何に。

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