倉敷でブラタモなぞり。
今回飛び石更新しております。m(_ _)m

ということで出雲観光の翌日は倉敷に移動です。
(この遠出の主目的が『ライブ遠征』というのを忘れているわけではないのです!)
この日も快晴&夏日。
駅まで5分程度歩いただけなのにすでに汗ばむ陽気で、持ってきたスリーシーズンコートの出番は本日も無さそう(^-^;

  ▲出雲市駅駅舎。
モチーフはもちろん『出雲大社』。
内部には『古事記』のなかでも有名な『因幡の白兎』と昨日松の参道脇で行われていた奉納神楽の演目でもあった『八岐大蛇』のイラストが。

(どうでもいいけどこのオロチの絵を見てたら『スケバン刑事』の【梁山泊(りょうざんぱく)編】おもいだしてしまった)



倉敷へは特急《やくも》で向かいますが、この車両がこれまたたいへんに揺れるのなんの! 岡山〜松山間を走る特急《しおかぜ》もそうとうだったけど《やくも》も引けを取らないよ、とちょっとビビりました。
でもこちとら「電車は寝るもの」と「カレーは飲み物」的にうそぶいている奴なので、倉敷までの3時間ちょいは絶好のお休みタイム。
車窓の景色を眺めることなく、がーがーと寝倒して倉敷につきました。

しかしこの日もスケジュールは満杯。
夕方のライブまでに『ブラタモなぞり in 倉敷』を完遂せねばなりません。
なので着いたら即、宿へ直行。
ちなみにこういう外壁(↓)やオブジェを持つ宿です。



そして荷物を預けたらすぐ、『なぞり』開始! です。
ところでわたしは今回初めて倉敷の街を訪れましたのですが、美観地区があんなにコンパクトだったとは知りませんでした。
もっと広いと、勝手におもいこんでいたのでいざ『なぞり』を始めたら、行くべき《なぞりポイント》が次々と現れてあっ、という間にぜんぶなぞり終わってしまったのでした。
なので写真をたてつづけにあげていきますよ!

まずは鶴形山の阿智神社から。


タモさん、近江アナ、現地案内人がエンヤコラせーのどっこいせと登っていた階段。
米寿坂と還暦坂ですって(笑)
そしてお社▼

番組ではこの舞台づくりの絵馬殿(↑)から倉敷の街並みを確認していたので我々も。
残念ながら夕方から行く予定の市民会館は繁った木々の向こうで見えません。

ところでところで。
前日は出雲大社の参道を進む途中で奉納神楽に鉢合わせしましたが、なんと!
この日もこんな嬉しい見物(みもの)に鉢合わせしました。
還暦坂を昇る途中、昨日の出雲大社と同じように雅楽が聴こえてきて、あらここでもまたよい風情・・・とうっとりしていたら続いて女性の声で
「ここでお召しいただくのが五衣(いつつぎぬ)で・・・・・・」
というような言葉が耳に飛び込んできたのです。

いつつぎぬ!

平安歴女にはこの単語だけでピン! とくるのです!
「十二単の着付けやってる!!」
言うが早いか、同行の友を置き去りに階段を駆け上がり、音源場所を探します。
そこは境内の一角にある能舞台で、板上には女房装束を着付けられている女性と着付けしている女性と雅楽を奏でている楽団が!
これに「うきゃーーーー」とならない平安歴女が居りましょうや?!
もう大々々々興奮で舞台近くに歩み寄るのでした。
さっき「五衣へお召しいただき」的なことを言っていたのでそうだろうとはわかっていましたが、やはり袴と単衣、そして表着(うはぎ)はすでに着用済み。
これから唐衣(からぎぬ)を着せるところのようです。

あああああ、なんて素敵・・・・・・。
この色目はなにかしら・・・・・・。
などとポーっとなりつつも着付の進行を見守ります。




ちゃんと檜扇で顔を隠して退場していくのがニクイです。
※・・・今回の着付け(裳腰が唐衣の上になっている)は平安朝期のものではない、と解説がありましたので一応但し書きしておきます。
また、解説役の方に今回の重ねの色目を確認したところ「萌黄」とのお答えを得ました。
(以前十二単の着用体験したときの友人の色目より緑系が少ないけど同じ色目なんだなぁ・・・)

この、思わぬ遭遇に阿智神社に予定外の長居をしてしまったので急ぎ『ブラタモなぞり』に戻ります。

続いて向かうは江戸期の倉敷が天領地であり、ゆえに設置された代官所の跡地とその代官所に海から引き込まれていた「堀」があった痕跡を追った場所です。
代官所の跡地は実は泊まってる宿の敷地内なんですけどね。



番組ではこの用水路の突き当りの板塀(黒色のところ)の向こう側からタモさんが覗いてたんですよね。
オンエア当時、その板塀は古くてところどころ破れていたのに、今はもうこんなにキレイに直されてしまっていました。
そしてこの用水路を辿った先にあるのが、当時の豪商「森田家(森田酒造)。

造り酒屋でもあり、米問屋でもあったため、蔵がたくさん建てられるほど儲かったとか。
ちょっとだけ見えてる路地っぽいところが用水路の跡地です。
もう暗渠でもないんだったかな? 
そして蔵・蔵・蔵。
お金持ち〜〜。

ちなみに今もお酒屋さんの営業もなさってるし、隣接してお土産屋さんと坂崎さんも喜ぶこと間違いなしの和ガラスの展示もしてるカフェを営んでました。『平翠軒』さんです。




その次向かうは《大原美術館》。
倉敷の実業家大原孫三郎氏が、地元の文化向上を目指して建てた美術館です。
なぜギリシアの神殿ふうにしたのでしょうかね。

大昔の富豪って、なんかこう、本物の「意識高い」系ですよね。自身の資産のために、じゃなくて、倉敷の人々に素晴らしい美術品を見て欲しいから、と、こういうの作るんですもの。
人に見せられないもの蒐めてニヤニヤ悦に入ったり、現金バラマキの企画を打ち出したりする金持ちとは根本が違う気がしますよ。
現代にもこういう感覚の富裕層、居たらいいのにねー(棒)。
ロダンですよ、ロダン〜〜。

そして分館の外壁はなぜか日本のお城の石垣をモチーフに作られている、というのでタモさんたちが見に行った場所。
このへん、穴場スポットっぽくて、人影はまばら。おかげでゆっくり確認できました。
石落とし部分もちゃんと見られました。

続いては明治期の倉敷に建てられた紡績工場の跡地(泊ってる宿、なんですけどね)。

外壁は見事なレンガ。
一段は長めの石で積み、その上には短いものを重ねる工法は《イギリス積み》と言っていましたね。
これですね。▼

 ▲レンガの壁が石積みの上から始まっているのは、昔、近くの倉敷川がよく氾濫したから、とも言ってました。
このレンガの壁の中に、当時としてはかなり大きい紡績工場−《倉敷紡績》の工場が建てられたのです。
その建物はいまも残っていて(宿もその一部)、でもイギリスの設計図どおりに作ったから本来太陽光を直接採取しないはずの “北向き窓” から夏の強い日差しがまんま入って来てしまう、というポカをやってしまった―そう館長さんが説明してましたね(その館長さんとすれ違ったのでした!)。
その北向き窓(へんな角度の撮影でスマン)▼


で、その暑さ対策で始められたのが、今では施設名の由来ともなった外壁を覆う「蔦」です。
5月なので緑が色鮮やか。


さあ、これで《行かねばポイント》はすべてクリアしました。
あとは激混みの美観地区です。
江戸〜明治〜大正とそれぞれの時代の建物が残っている街並みをじっくり見学・・・・・したかったんですけど。
もうね、覚悟はね、これでもしていたんですよ、連休ですから。
でもこの日の美観地区は、その想像をはるかに上回る混雑っぷりでして、とてものことそういう “歴史浪漫” を感じられるような余裕は、ないのです。どこを見ても、どこにレンズを向けても人・人・人・人・・・・。
笑うしかないよーーー(ヤケ)。
それでもなんとか撮れたものを。










この日はイベントで【瀬戸の花嫁の川舟流し】も行われていたので飾り付けされた川舟が(そのイベント見たい人が多かったのかも。←なので見てません)。



ということで『ブラタモなぞり』倉敷編はおしまいでございます。
長のおつきあい、ありがとうございました!




このあとは夜の美観地区を。
日中とは打って変わって人通りのない街はたいへんによい風情でした。
ここは夜歩きがお勧めですね! あと早朝もいいのかな?

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出雲でブラタモなぞり。その3
さてさて。
『旧大社駅』の風情を満喫したら残すはお社へのお参りです! それ以外にはもうノルマ(?)はないので、ゆったりとした心もちで向かうことができます。
緩やかに昇り傾斜している神門通りを、足取りも軽く進みます。
すると見えてくるのが《石の鳥居》です。
さっきの『旧大社駅』から見えていたのもこの鳥居。
掛かっている額(↓)の大きさは六畳間に等しい、と『ブラタモリ』でも言ってましたね。
こうして見ているとピンとこないんだけど、真下から見上げると・・・
どーーーーーん! という迫力だから、やっぱり六畳くらいあってもおかしくないですね。
いやー、でかい・高い!
このでかい鳥居をくぐると聖域・神域に一歩踏み入れた、という感覚になります。
とはいえメインテーマはあくまでも『ブラタモなぞり』。
若いお嬢さんたちに人気のお店が軒を連ねる参道を進みつつも、我々はこういうポイントで「おおっ!」となるのです。
 ▲この階段は何かと申せば、番組で、出雲スイーツを食べたい桑子アナに対して、こういう高低差のほうがいいんだとそっけなくあしらうタモさんが「いいねぇ」と立ち止まった場所なのでした。
こんなとこ撮るのは『ブラタモリ』フリークだけでしょう。

そしてそのポイントからちょっと昇ればもうそこは勢溜。
昔はここに参拝客がたくさん居た、という解説でしたが、今は・・・。がらーんとしてました(屋台のテントがちょっとなあ・・・)。
なのに参道入り口の《木の鳥居》のところには人・人・人・人・・・・・・。連休中だからとうぜんですが、とにかくもう人だらけ!
あまりの人だかりに写真を撮る気も失せてしまうほどでした(ので撮ってない)。
でも《松の参道》に差し掛かる《鉄の鳥居》のところは幸運にも人の波が引いている!
チャンス! とシャッターを切ります。
玉砂利が敷かれた中央は神様の通り道、なので人間は両脇の道をゆきます。
よいお天気で、たいへんに気持ちがよいです。

清々しい空気を感じながら進んでいくと雅楽の音色が聞こえてきますが、御祈祷やお祓い等の儀式で奏でられているにしてはその音は近すぎです。加えてマイクをとおした人の声も聞こえてきます。
これはなにかイベントが行われているのでは? と音の流れを遡って行ったらば!
 ▲奉納神楽が行われていました! 雅楽も生演奏!! これは有難い。
おもわず足を止めてしまいます。
すでに始まって久しい様子でしたが、なんの演目かはすぐ、わかりました。
『八岐大蛇(ヤマタノオロチ)』ですね!
大蛇の首を掲げているのが須佐之男命(スサノオノミコト)で、背後に立つ女性がおそらく櫛名田比売(クシナダヒメ)でしょう。
スサノオ役は大立ち回りを演じたりして、かなり迫力がありました。
ラストはポーズを決めて、有名な和歌「八雲立つ」を詠いあげます。
観客からは拍手喝采(もちろんわたしも)。
帰宅して調べたら、出雲大社では毎年この時期に奉納神楽を行っているとのことでしたが、当日はそんなことまったく知らずにこの場面に立ち会えたので、とても嬉しかったです。
いいもの見たねぇ、と言い合いながらホクホクと参道を進みました。

するとちょっとした人だかりができていて、その視線の先には・・・。
 このシーン・・・『古事記』にあったようなないような??※
 ▲この方が大国主命(オオクニヌシノミコト)。出雲大社の主祭神です。

さあ、大国様にご挨拶申し上げましょう。

ところで出雲大社が《縁結びの神様》として名高いことは皆様もご存知のはず。
しかしわたしなどはもう、望むべく “そっち系のご縁” はありません。なので願うことは我らのたいせつなたいせつなお三方の「健康長寿」とのご縁―つまり『長寿A』です。
しっかりとお願いしておきました。
付け足しで、わたし自身の “チケット当選” とのご縁も。
とはいえ拝殿の、然るべき場所にたどり着くまでも凄い行列ではありました。まるでお正月です。
なのでここでもなかなか撮影できません。どうしても上のほうばかり。
こんな感じ(↓)しか。
(どこだよww)
 

それでも『ブラタモなぞり』は続行します。
タモリさんたちが裏手に回っていたので、我々もそちらへ向かいますが、どうやらそのルートは観光としては「正規」のようで。
ご本殿をぐるりと囲んだ塀に沿って進みます。
タモリさんたちは確か本殿の敷地に入れてもらっていたような気がしますが、我々は一般市民なので入れません。
格子窓の隙間から本殿の姿を垣間見するしかないのです。


そうこうしていたら!
これ(↓)! 
 番組でも紹介していた神無月(出雲では “神在月”)に出雲にやってきた神様たちの泊まるホテル! (十九社) さすが八百万の神々が滞在するだけあって長い! でも今はどなたもいらっしゃらない時期。それでもこの社に手を合わせる信心深い方もいました。

さて。
この十九社を右手にして進むと本殿の姿がようく見えるポイントにたどり着きます。
 これはとてもありがたいです。
 
 ▲拝殿で拝むより、この位置からのほうが神様に近い、ようなことを番組で言っていたような。
そして十九社はこちら側にもありました。


そしてそのままルート案内板に従って進むと、よく見る “出雲大社(神楽殿)” の姿が!
これ! これですよ、出雲大社は!
注連縄〜〜(「どんだけ〜」のイントネーションで)。
どーん!
どどーん!
ばーーーーん!


ホントに大きかったです。

ところで『ブラタモなぞり』をするうえで、これは絶対見なくちゃ! と決めていたものがあります。
それは古代の大社(↓)を支えていた「心御柱」の出土跡。
山陰インバウンド機構公式サイトより
その昔、この本殿は高くそびえたち、3本ひと組の柱でそれを支えていたとされています。そしてその設計図のようなものも発見されていましたが、あくまでも『神話』でのことだったり、設計図上でのことと考えられていました。
ところが!
つい最近ですよ、平成12年に、その3本ひと組の柱が「設計図」のとおりに並んだものが境内で発掘されたのです!!
その時の写真は大社の宝物殿入場券に採用されています。(↓)
(発掘された古代御本殿心御柱を見ることができます)←見ました。
 宝物殿入り口脇に実物大の柱のモニュメントが。

その発掘跡が3つの円形で地面に刻まれていて、タモリさんも感心しきりだったので、わたしもぜひ、この目で確かめたかったのです。
そしてそれは、拝殿と本殿の間−八足門前のちいさな広場にありました。
これです!
 そばに立っている人との対比で、その大きさが伝わるかとおもいます。
 これをずっと眺めていると、どこにこの木は生えていたんだろう、どうやって切り出してはこんできたんだろう、どうやって直立させたんだろう・・・とあとからあとから疑問と想像がわいてたくましく止まらなくなります。


そんな歴史ロマンに溢れまくった出雲大社、堪能いたしました。



出雲大社への足は、行きは路線バスで、帰りは一畑電鉄でした。
一畑電鉄の出雲大社前の駅舎がこれまたカワイイ。
 こちらは三角駅と同じ系列でしょうか。
内部もシャレオツです。


車両もピンク。





次回からは『ブラタモなぞり』倉敷編です。

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出雲でブラタモなぞり。その2
さて、出雲そばを堪能してお腹も出っ張ってきたので、こなすためにお社に背を向け、てくてく歩きます。
目的地は、番組でもタモさんご一行が訪れていた、かつて観光客の玄関口だったという『旧大社駅』。
勢溜付近からだと確実に20分は歩く距離にあるので、一畑電鉄の『出雲大社前』からの距離に「ひぇええ〜」と音をあげる人は、この駅から歩いたらぶっ倒れるんではないでしょうか。
でも、駅の雰囲気は素晴らしい。

見て。
去年の三角駅は洋風建築でしたが、こちらは純和風。名門老舗旅館、といっても通じる感じです。
とはいえこの駅、なんとつい最近(1990年)までは現役だったとのこと。なんだかもったいない気もします。
ちなみに2004年には重要文化財に、2009年には近代産業遺産にそれぞれ指定・認定されているそうです。

屋根瓦にはカメさん。

そして東大寺大仏殿を彷彿とさせる鴟尾もあったりして(というかよく見たら外観奈良ホテル本館に似てる!)

内部は内部でレトロで素敵だから見て見て(つーか、ますます奈良ホテル)。






もちろん、駅舎からホーム側に出ることもできます。

 ▲大きな駅だったことがわかる広いホームです。
 ▲ホームの先には出雲大社参道の大鳥居も見えます。
 ▲木枠の改札口。年代を感じますです。
 ▲漢字表記が左から始まり、というのも。



『旧大社駅』は、ほんとうにこの駅舎とホームしかないので、鉄道&歴史に興味がないひとにはなんの面白味もない場所だとおもいます。
でも、それらがすきなひとには辛抱堪らん! という素敵なスポット。
わたしの場合は番組で解説されていたことをおもいだしながら、細かい部分を見たりして、気がついたら30分以上経ってました。
いけない、いけない。
まだお社に詣でていない我々。
名残惜しいことですが、きちんとお参りするため『旧大社駅』をあとにしたのであります。

『ブラタモなぞり』その3へ続く。
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出雲でブラタモなぞり。その1
ひとくちに《歴女》といっても日本も相当に歴史は長うございますから、みなそれぞれに得意とする『時代』があるものです。
わたしの場合は主に『古代』で、メインは飛鳥・天平・奈良〜平安です。
次いで『中世』の戦国、『近世』の江戸(中期まで)で、逆に苦手は鎌倉と室町。ぶっちゃけ嫌いなのは『近代』で、江戸末期〜明治あたり(特に明治政府を樹立した連中は大嫌いです←要するに薩長嫌い)。
などと、そんな「知らんがな」情報は横に置いておくとして。
“出雲” については、『史学』的にはほとんど無知です。同じ『古代』のくくりに入るはずなのに、まったく勉強していないのです。
でも【古事記】だの【日本書紀】だのの書物の観点からだったら、すごく興味深い土地で、一度は行かねばなるまい、とおもっていたので、今回、倉敷遠征にかこつけて、詣でてまいりました。
もちろんその裏には、というか表には『ブラタモなぞり』があるわけですが!

と。
ここでお知らせです。
なんと、わたしが『ブラタモなぞり』をするうえで利用して、とても助かっていた番組公式サイトでの【ルートマップ】の公開が終わってしまっていた!!Σ( ̄ロ ̄lll) のです。
なので、これまで以上に『なぞり』が不完全になること間違いなし、ということを予めお詫びしておきます(録画を何度も見返して、予習はしていますが)。

という状況で、まいりましょう。


まずは江戸時代の社(やしろ)へのメインストリートへ。
皆様ご存知の、勢溜へ延びるまっすぐな通り、ではなく今では脇道になってしまった「神迎の道」がそれにあたります。
そこのつきあたりにあるのが、一見三叉路に見えて実は四叉路、という辻。
地図で見るとこんな感じ(↓)です。わかりますか?






この4本の道は、それぞれ勢溜・大社・日本海・石見銀山へと続いています。
番組では、江戸期は「出雲大社」ではなく「杵築大社(きずきおおやしろ)」と呼ばれていたと紹介しており、近辺の町名にその証が残っているとも言っていました。
これですね!(↓)

明治期にいまの『出雲大社』に改称されるまでは、ずーーと『杵築大社』だったわけです。
しかも当時はいまほど参拝客も多くなく、どっちかってーと寂れていたと。
それをなんとか全国区にしようと頑張ったのが《出雲御師(いずもおし)》という方々で、言うなれば国内版フランシスコ・ザビエル(らんぼうな喩え)。
彼らが神迎の道から四方八方に散り、全国で布教活動を行ったおかげで、このお社に人々が参拝するようになったそうです。
でもって、その御師さんたちが持って出たのが、『お蕎麦をサービスしますよクーポン券付きお札』。
そしてそのお札の版木(刷り板)が発見されたお蕎麦屋さんが【荒木屋】さん!

いやもう、すんげー行列で、わたしたちも2時間近く、待ちましたとも。
混んでなかったら、その版木を見せてもらえないか伺おうとおもっていたのですが、あの混雑ぶりではとてものこと言い出せません。
仕方なく、お蕎麦を食すのみ。
注文したのは《縁結びセット》です。
運ばれてきたのはこれ。


食べ方は下記のとおり。
正直申せば、わたしには割子二段では物足りなかったので一段、追加しました(^^ゞ
そしてこの日のそば粉は
とのこと。
確かに段ごとに味が違ってました(どっちがどっちかまではわかりませんが)。

そしてお腹がくちくなったあとは、ちょっと足を延ばして・・・・・・。

なぞりその2に続きます。


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タイムトラベルしに行きたい。
浅学でお恥ずかしいが、一乗谷にこんなに素晴らしい遺跡があって、復元部分もあるなんて知らなかった。
これは是非、行ってみたい。
福井はちょくちょくツアーに入るから、今度公演あったら遠征がてら、足を延ばしてみたいものです。

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熊本遠征クロニクル《水は清き熊本》。
熊本遠征を決めた時
「よーし、ついでに『ブラタモなぞり』ができるぞー」
などと能天気に浮かれていたわけです。
で、いざ現地ついて真っ先にお城へ行ったら「立ち入り制限」。
はっ、そうだった! かなり修復されたように見えたけど、まだまだ完全復活じゃなかったんじゃん! あほう、わたしのあほう! 地元の皆様に謝れ!
と、やりすぎ熊本城に関しての『ブラタモなぞり』は自粛したのですが、熊本が実は「水の国」だった! という回のなぞりは粛々と(役所か)実施いたしましてございますよ。

とりあえず番組でのタモさんたちの足取りは番組サイトのこちらで確認していただくとして。

とはいえ、鼻ぐり井出は遠方だし、地元の高校は一般人立入禁止だし、健軍水源地は見学事前予約だし、で、パーフェクトに後追いするにはかなりハードルの高いルートではあったので、遠征ついでという手抜きなぞりにはやはり、観光地でもある【水前寺成趣園】でしょう!
てなわけで、九州屈指の名庭園に馳せ参じたわけです。

くまモンに出迎えられるも、園内に入れば・・・・・・



きれいねー。
しかも朝早めの訪問だったから混んでいなくて快適。
高校の修学旅行で来たときはほとんど理解できなかったこの風情。これがわかるようになるんだから、年取るのも悪かないなぁと思いますわよ。
いやもう、美しすぎて、写真撮りすぎました。





ただね、秋なので芝生が枯れ色なのが残念と言えば残念。初夏だったら、目の覚めるように萌える緑を堪能できたでしょう。
でもなんのかんの言ってもわたしは “秋好む中宮” なので、冬に備えようとする植物たちの営みに感銘を受けるわけでございます(そんななかの常緑樹・松のバイタリティーの強さよ)。

で。忘れちゃいけねぇ『ブラタモリ』。
ここ熊本には豊富な水が湧き、しかもとてもきれい、ということを紹介していた回ですから、その清水度合いを確認いたします。


ほんとに澄んでます、澄みきってます。
なのでいわゆる湖面鏡になります。


見事なシンメトリー。
カメラ構えてるわたしの影がはっきり池の底に映るくらい澄んでます。
こんなに澄んだ水が、阿蘇の火山によってもたらされているなんて、ほんと、自然て不思議だしよくできてるし、偉大だなぁとおもいますね。


ところで。
水前寺成趣園での時間の流れがあまりにゆったりで、ついついボーと長居してしまった(ああチコちゃんに叱られる)のですが、次はすぐ近くを流れている川を見に行かねばなりません。
番組のルートマップがいまいちわかりにくかったのでなかなか見つけられませんでしたが、裏道を発見できたので、たどり着けました!
おおおお、こちらもほんとうに透きとおった水が!
そして川渕には湧き水!
なんて素晴らしいのでしょう! 
こんなにきれいな川が普通に住宅街を流れているなんて驚きです(この驚きはあれだ、ノンアルの方々がセンセイの変形ギターを見てびっくりするのと同じだと思う。←それが当たり前の人々には今さら驚くほどのことではない)。
▲番組でタモさんと桑子アナとガイドの方がいたところ(降りようかと思案したけど、やめました)。


そんなこんなで、次に控える乗り鉄イベントのため『ブラタモなぞり』はここで終了。
どっちかってーと単なる水前寺公園の観光日記になってしまったけど、まあ、そこはご容赦あれ。
※台地のキワは時間が不足したので断念しました。



あ、おまけの『なぞり』で洗馬橋のタヌキたちをどうぞ。





タヌキをフューチャーするんだったら、賢様のタヌキもここに・・・・(いやいやいやいや)。

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水の国、くまもと。
『ブラタモリ』でとりあげられた、市中の湧き水。

ほんとにキレイ!!
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せんば山にはタヌキがおってさ。

でお馴染みの“せんば”。

ブラタモなぞりでございます。



洗馬橋というところに立ってる像(?)なんですけどね。
その橋からお城がチラリと見えるのでござりまするよ。

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なぞりのコラボレーション−後編−「路線三変化」
ということで蹴上の産業遺構を満喫したあとは『タモリ倶楽部なぞり』にもどります。
ここからは "鉄道に乗ること" そのものが目的。
なんとなれば、これから乗る路線ときたら
というように、3つの顔を持っているのですから!(通常の地上路線を含めたら4つの顏になります)
なので「路線的名物」がもりだくさん!
たとえば山岳区間には、パーミル度数が大きいがゆえに生じる高低差の視覚化著しい駅のベンチの脚(↓)
とか、限界ギリギリのカーブ(↓)
とかあって、まがりなりにも「○○鉄」を自称するなら、乗っておかねばならない路線区間なのです!
なので我々も歳を忘れて、先頭車両の運転席背後、という絶好のポジションを確保。
乗り鉄×撮り鉄、になって各名所をカメラに収めようと鼻息も荒く挑んだのですが・・・・・・。
えーと、わたしがカメラの設定(特にシャッタースピード)を間違いたみたいで、画像がすべて "走った" ものになってしまった・・・・・・。
こんな感じ(↓)

やだもうー、なにこれー。この電車、こんなに速くないですからね。
途中で気づいて設定を調整しましたが、時すでに遅し。
名物箇所はカメラに収まっていても走査線のようなものばかり・・・。痛恨のミス、であります。
それでもなんとか、山岳区間から路面区間に出るところは、撮れました!
ここ!
このピンクで囲った部分(↓)が、山岳から路面に変わる境目! わかる?!
ここを過ぎると路面電車になるのです!
ほらね!
(路面だから、自動車信号が赤だと停止するのだ)
そんでもってカーブが見えてきましたのですが、ここも名物カーブ。
ほら。
この先を曲がると「浜大津駅」なのですが、電車を降りて俯瞰で見ると曲がり具合がよーーくわかります! 見て見て!!
すごいでしょう?
このカーブに電車がさしかかると、車輪とレールが擦れる甲高い音が交差点に響き渡ります。
あまりのカーブに前寄り車両からは後方車両が見えるほど。

このカーブを乗り越えて「浜大津駅」に電車は入って行きます。

京阪京津線と石山坂本線の乗り換え・始発終点駅です。
ホームに居ると、幾つも行き先が違う車両が右から左から入ってきて、結構フクザツな乗り換えだと感じます。
その証拠に線路も絡み合ってます(でも美しい・・・)。

それにしても橋上駅舎から続くデッキからこの交差点が臨めるのはたいへんにありがたいことです。
寒いのも忘れて、何度も何度も京阪線が行き来するさまに見入ってしまいました。

(↑)なぜかマンガ『ちはやふる』のラッピング。


あ、そうだそうだ。
このアングルで見られる場所でうしろを振り返ると、そこは琵琶湖なんです、言い忘れてましたけど。
ほら。

遠くの峯には雪がしっかり積もっているのがよく見えました。
この冬景色見て、寒いことをおもいだしたりして。


というわけで、あまりの寒さとこの後の予定もあるので、残念ながら石山坂本線で三井寺に行くのは断念。
乗ってきたルートで、京都市内に戻ることにして『タモリ倶楽部なぞり』は終了です。カメラの設定ミス、という泣くに泣けないことにはなりましたが、楽しい路線に乗れたので個人的には大満足でした。
と同時に今度はもっと暖かい時期に来て、残りのルート(比叡山を横断するやつ)もなぞりたいなあ、とおもいました(延暦寺も行けるし!)。

おしまい。
前後編のおつきあい、ありがとうございました。


※3つの顔を持つ路線の詳しいことは京阪の公式サイトにで確認できます。

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なぞりのコラボレーション−前篇−「琵琶湖疏水/明治の技術の粋」
さて、記事も改まったところで、この強行軍 "乗り鉄企画" のルートをおさらいしてみます。
スタート地点:京阪電鉄本線東福寺 ⇒ 三条(乗り換え)⇒京都市営地下鉄三条 ⇒ 蹴上(下車/ブラタモなぞりベースの観光)⇒ 蹴上 ⇒(御陵駅に於いて京阪京津線に乗り入れ)⇒ 浜大津(ここから同じルートで東西線烏丸御池まで戻る)
てな感じです。

前回も書きましたが、本当なら[タモリ電車倶楽部]の皆さんと同じ
このルートをなぞりたかったのですが、断念して、上の写真でいうところの下半分のみのプラン(↓)
をわたしが企画・立案したわけです。
とはいえ、このルートだってもけっこうハード。
今思い返してみても、年末のあの寒空の下、わたしなんぞのおもいつきによくまあつきあってくれたことよと、毎年のことながら今更の感謝であります。

ありがとー、友たちよ。

てなわけで。気を取り直して参りましょう。
我らの「なぞり企画」のスタート地点、これは『タモリ倶楽部』と同じ東福寺駅です。

でもってここから乗れたのが、番組と同じ5000系だった、てことを唯一なぞり当日に実況アップしましたんですが、そんなことはどーでもいいですね。


この車両には珍しいシステムがふたつも備わっていて、それのひとつが【跳ね上げ吊り手】こんな感じで、使いたいときだけ下に降りてくるんです(コイルばね仕様)。
使ってない時はこんなん(↓)。
乗り降りの時、輪っかの部分が邪魔になったら申し訳ない、という京阪さんの気の遣いようから生まれた親切設計(なのに今はあんまり採用されてないのだとか)。
我らも喜んで上げ下げしまくり・マ・クリスティ。

そしてもうひとつの画期的システムが収納されてる座席シート! 
京阪の5000系専売特許だそうで、ラッシュ時には天井付近に収納されている座席が、ピークオフ時になると降りてくる、というもの。

これが降りてきたドアは開かなくなります。



ええぃ、説明がまどろっこしいので動画でどーぞ(↓)


我々が乗車したのは多くが年末休みに入った日中の時間帯だったので、シートが降りていたではないですか! もちろん、嬉々として座ったのであります。

ということで乗車して早々はつり革や乗降シートに感激しておりましたが、それが済むと特にやることはなくなります。
なにせ三条までは地下空間。これといった変化はありません。これ幸いとこのあとに控える幾つものミッションに備え、しばしの戦士の休息であります。
といっても駅を3つばかり過ごすだけなんですけどね。

ということでいったん京阪三条で降りて、市営地下鉄東西線に乗り換え。
目指すは「蹴上」駅です。
ここから今回の「なぞりコラボ」企画のお相手(?)『ブラタモリ』のなぞりになりまして、蹴上駅が最寄りの古刹・南禅寺の裏手には明治時代の技術の遺産が、あるのです!
それが序章でも書いたとおり【水路閣】と【インクライン】。

まずは南禅寺の境内の奥へと足を進めると見えてくる赤茶けた建造物!
【水路閣】です。
とても立派でかつ実に美しい。
碓氷峠のめがね橋と同じラインを描いているあたり、いかにも「明治」です。

京都が舞台のサスペンス・ミステリードラマの場面でもお馴染みで、どこかからマリコ(沢口靖子)が現れそう。

この水路は琵琶湖から京都に水を流すためのものですが、お寺の雰囲気に合わせてわざわざレンガで造ったという明治政府のセンスの良さにはおもわず拍手です。
完成を優先させるあまり、日本橋の上に無粋なコンクリート建造物を覆いかぶせてしまった昭和政府とは大違い。
しかもこの水路は21世紀のいまも現役! 上部にのぼっていくとちゃんと水が流れているのです。

このあと我々が向かう琵琶湖から流れ流れて京都のここまで来ている水。
なんだか感慨深いものがあります。

そしてこの水路の脇に沿って、蹴上駅方面へえっちらおっちら歩いて行くと・・・!
今回見たかったもう一つの明治の産業技術遺構が現れます。
【蹴上インクライン】。



物資運搬の際、琵琶湖を経由すれば量も多く運べ、距離も短くてすむということで造られた「船をレールで運んじゃえ!」という施設です。




そういえば『ブラタモリ』で案内の方が、ここは露天の博物館だと仰っていましたっけ。

でもってタモさんが、レールを打ち付けている「釘」に異様に反応していたので(カメ型とイヌ型)
現在はカメ型のものを「犬くぎ」と称しているとのことで、ここの「イヌ型」が本家本元と判明!
わたしも探してみました。
まずはイヌ型(↓)。

こちらカメ型(↓)。

イヌとカメの背中合わせ(↓)。

そしてさらに番組でタモさんが1880年代の刻印があるレールを見つけていたので

わたしも友人たちを巻き込んでレールの刻印大捜索。
しかし見つけられたのはこちら(↓)
残念ながら1920年代。
うーむ、うーむ。これはすでに溜まり溜まった『ブラタモなぞりリベンジ案件』の追加・・・。


というようなことをやっていて、けっこうここで時間をくったのですが、このあとまだ行くべきところがあるのは忘れていません。
さあ、再び地下鉄東西線に乗っていざ、滋賀の浜大津まで行くべし!

後編へ続く。



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