なぞりのコラボレーション−後編−「路線三変化」
ということで蹴上の産業遺構を満喫したあとは『タモリ倶楽部なぞり』にもどります。
ここからは "鉄道に乗ること" そのものが目的。
なんとなれば、これから乗る路線ときたら
というように、3つの顔を持っているのですから!(通常の地上路線を含めたら4つの顏になります)
なので「路線的名物」がもりだくさん!
たとえば山岳区間には、パーミル度数が大きいがゆえに生じる高低差の視覚化著しい駅のベンチの脚(↓)
とか、限界ギリギリのカーブ(↓)
とかあって、まがりなりにも「○○鉄」を自称するなら、乗っておかねばならない路線区間なのです!
なので我々も歳を忘れて、先頭車両の運転席背後、という絶好のポジションを確保。
乗り鉄×撮り鉄、になって各名所をカメラに収めようと鼻息も荒く挑んだのですが・・・・・・。
えーと、わたしがカメラの設定(特にシャッタースピード)を間違いたみたいで、画像がすべて "走った" ものになってしまった・・・・・・。
こんな感じ(↓)

やだもうー、なにこれー。この電車、こんなに速くないですからね。
途中で気づいて設定を調整しましたが、時すでに遅し。
名物箇所はカメラに収まっていても走査線のようなものばかり・・・。痛恨のミス、であります。
それでもなんとか、山岳区間から路面区間に出るところは、撮れました!
ここ!
このピンクで囲った部分(↓)が、山岳から路面に変わる境目! わかる?!
ここを過ぎると路面電車になるのです!
ほらね!
(路面だから、自動車信号が赤だと停止するのだ)
そんでもってカーブが見えてきましたのですが、ここも名物カーブ。
ほら。
この先を曲がると「浜大津駅」なのですが、電車を降りて俯瞰で見ると曲がり具合がよーーくわかります! 見て見て!!
すごいでしょう?
このカーブに電車がさしかかると、車輪とレールが擦れる甲高い音が交差点に響き渡ります。
あまりのカーブに前寄り車両からは後方車両が見えるほど。

このカーブを乗り越えて「浜大津駅」に電車は入って行きます。

京阪京津線と石山坂本線の乗り換え・始発終点駅です。
ホームに居ると、幾つも行き先が違う車両が右から左から入ってきて、結構フクザツな乗り換えだと感じます。
その証拠に線路も絡み合ってます(でも美しい・・・)。

それにしても橋上駅舎から続くデッキからこの交差点が臨めるのはたいへんにありがたいことです。
寒いのも忘れて、何度も何度も京阪線が行き来するさまに見入ってしまいました。

(↑)なぜかマンガ『ちはやふる』のラッピング。


あ、そうだそうだ。
このアングルで見られる場所でうしろを振り返ると、そこは琵琶湖なんです、言い忘れてましたけど。
ほら。

遠くの峯には雪がしっかり積もっているのがよく見えました。
この冬景色見て、寒いことをおもいだしたりして。


というわけで、あまりの寒さとこの後の予定もあるので、残念ながら石山坂本線で三井寺に行くのは断念。
乗ってきたルートで、京都市内に戻ることにして『タモリ倶楽部なぞり』は終了です。カメラの設定ミス、という泣くに泣けないことにはなりましたが、楽しい路線に乗れたので個人的には大満足でした。
と同時に今度はもっと暖かい時期に来て、残りのルート(比叡山を横断するやつ)もなぞりたいなあ、とおもいました(延暦寺も行けるし!)。

おしまい。
前後編のおつきあい、ありがとうございました。


※3つの顔を持つ路線の詳しいことは京阪の公式サイトにで確認できます。

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なぞりのコラボレーション−前篇−「琵琶湖疏水/明治の技術の粋」
さて、記事も改まったところで、この強行軍 "乗り鉄企画" のルートをおさらいしてみます。
スタート地点:京阪電鉄本線東福寺 ⇒ 三条(乗り換え)⇒京都市営地下鉄三条 ⇒ 蹴上(下車/ブラタモなぞりベースの観光)⇒ 蹴上 ⇒(御陵駅に於いて京阪京津線に乗り入れ)⇒ 浜大津(ここから同じルートで東西線烏丸御池まで戻る)
てな感じです。

前回も書きましたが、本当なら[タモリ電車倶楽部]の皆さんと同じ
このルートをなぞりたかったのですが、断念して、上の写真でいうところの下半分のみのプラン(↓)
をわたしが企画・立案したわけです。
とはいえ、このルートだってもけっこうハード。
今思い返してみても、年末のあの寒空の下、わたしなんぞのおもいつきによくまあつきあってくれたことよと、毎年のことながら今更の感謝であります。

ありがとー、友たちよ。

てなわけで。気を取り直して参りましょう。
我らの「なぞり企画」のスタート地点、これは『タモリ倶楽部』と同じ東福寺駅です。

でもってここから乗れたのが、番組と同じ5000系だった、てことを唯一なぞり当日に実況アップしましたんですが、そんなことはどーでもいいですね。


この車両には珍しいシステムがふたつも備わっていて、それのひとつが【跳ね上げ吊り手】こんな感じで、使いたいときだけ下に降りてくるんです(コイルばね仕様)。
使ってない時はこんなん(↓)。
乗り降りの時、輪っかの部分が邪魔になったら申し訳ない、という京阪さんの気の遣いようから生まれた親切設計(なのに今はあんまり採用されてないのだとか)。
我らも喜んで上げ下げしまくり・マ・クリスティ。

そしてもうひとつの画期的システムが収納されてる座席シート! 
京阪の5000系専売特許だそうで、ラッシュ時には天井付近に収納されている座席が、ピークオフ時になると降りてくる、というもの。

これが降りてきたドアは開かなくなります。



ええぃ、説明がまどろっこしいので動画でどーぞ(↓)


我々が乗車したのは多くが年末休みに入った日中の時間帯だったので、シートが降りていたではないですか! もちろん、嬉々として座ったのであります。

ということで乗車して早々はつり革や乗降シートに感激しておりましたが、それが済むと特にやることはなくなります。
なにせ三条までは地下空間。これといった変化はありません。これ幸いとこのあとに控える幾つものミッションに備え、しばしの戦士の休息であります。
といっても駅を3つばかり過ごすだけなんですけどね。

ということでいったん京阪三条で降りて、市営地下鉄東西線に乗り換え。
目指すは「蹴上」駅です。
ここから今回の「なぞりコラボ」企画のお相手(?)『ブラタモリ』のなぞりになりまして、蹴上駅が最寄りの古刹・南禅寺の裏手には明治時代の技術の遺産が、あるのです!
それが序章でも書いたとおり【水路閣】と【インクライン】。

まずは南禅寺の境内の奥へと足を進めると見えてくる赤茶けた建造物!
【水路閣】です。
とても立派でかつ実に美しい。
碓氷峠のめがね橋と同じラインを描いているあたり、いかにも「明治」です。

京都が舞台のサスペンス・ミステリードラマの場面でもお馴染みで、どこかからマリコ(沢口靖子)が現れそう。

この水路は琵琶湖から京都に水を流すためのものですが、お寺の雰囲気に合わせてわざわざレンガで造ったという明治政府のセンスの良さにはおもわず拍手です。
完成を優先させるあまり、日本橋の上に無粋なコンクリート建造物を覆いかぶせてしまった昭和政府とは大違い。
しかもこの水路は21世紀のいまも現役! 上部にのぼっていくとちゃんと水が流れているのです。

このあと我々が向かう琵琶湖から流れ流れて京都のここまで来ている水。
なんだか感慨深いものがあります。

そしてこの水路の脇に沿って、蹴上駅方面へえっちらおっちら歩いて行くと・・・!
今回見たかったもう一つの明治の産業技術遺構が現れます。
【蹴上インクライン】。



物資運搬の際、琵琶湖を経由すれば量も多く運べ、距離も短くてすむということで造られた「船をレールで運んじゃえ!」という施設です。




そういえば『ブラタモリ』で案内の方が、ここは露天の博物館だと仰っていましたっけ。

でもってタモさんが、レールを打ち付けている「釘」に異様に反応していたので(カメ型とイヌ型)
現在はカメ型のものを「犬くぎ」と称しているとのことで、ここの「イヌ型」が本家本元と判明!
わたしも探してみました。
まずはイヌ型(↓)。

こちらカメ型(↓)。

イヌとカメの背中合わせ(↓)。

そしてさらに番組でタモさんが1880年代の刻印があるレールを見つけていたので

わたしも友人たちを巻き込んでレールの刻印大捜索。
しかし見つけられたのはこちら(↓)
残念ながら1920年代。
うーむ、うーむ。これはすでに溜まり溜まった『ブラタモなぞりリベンジ案件』の追加・・・。


というようなことをやっていて、けっこうここで時間をくったのですが、このあとまだ行くべきところがあるのは忘れていません。
さあ、再び地下鉄東西線に乗っていざ、滋賀の浜大津まで行くべし!

後編へ続く。



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なぞりのコラボレーション。−序章−

なんとまあ、もう如月に突入してしまった。

なぞりを実施したのは昨年末だったのに。

ということで、べつに誰も待ってないし、今更なんですが、城ホール通年ファイナル翌日に決行したタモさん番組ふたつの「なぞり」クロニクルを、ようやく書いてみる次第です。


で、"タモさん番組ふたつ" とはなんぞや? から解説していくとひとつは『ブラタモリ』でしょ! と皆様推測できたと存じますが、もうひとつの番組は、と申せばそれは『タモリ倶楽部』であります。

というか、今回は『タモリ倶楽部』なぞりのほうがメインだったのです。


それが放送されたのは、京都に【鉄道博物館】がオープンした2016年の春の大型連休中のこと。京都方面の鉄道に関するネタで、3週にわたってひっぱりました。

そのうちの主に2週目と3週目でオンエアされたこれ(↓)

これをなぞってやろうではないか! ということで、2017年ツアー全日程終了を寿ぐこともそこそこに(そこそこ?!)、我々は大阪から京都へ、むかったのであります。


そもそも、番組で言う「京阪電車と比叡山横断乗り物ツアー」とはどんな行程か? というところから始めますが、それはこんな感じです(↓)

これを見ただけで、どんな強行軍やねん! とお解りいただけたかと存じます。

そして実際、強行軍過ぎて、我々のような素人集団(車を準備してくれるスタッフも居ない、臨時電車を走らせてもらえるコネも無い)では一日で、まして年末の時期にはこのルートどおりには進めないことが、事前準備で判明してしまいました。

ので仕方なく、少なくとも浜大津(びわ湖ホールに行ったことある方には懐かしいでしょう)までは行って、時間があれば三井寺の琵琶湖疏水大津関門を見よう、ということにしました。

ところがその時。

【琵琶湖疏水】

という言葉に、わたしの記憶が刺激されました。

そういえば『ブラタモリ』の今シーズン直前SPで、琵琶湖疏水やってた・・・! という記憶が。

そしてマイ・アーカイブを調べたら、やっぱりありました!

2015年1月と3月に「京都」で南禅寺裏手の【水路閣】と【蹴上インクライン】をとりあげてました。


よっしゃーーー! こりゃ行かねばーーーー!


と、企画・立案係の特権乱用して、ここに立ち寄る独自のルートを組み立て、当日はそれに沿って、行動していたわけです。


ということでその「なぞり」をこのあと、披露していきます。

例によって長いので、お時間のある方のみ、お付き合いください。

それでは次回より始めます。




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会津若松で『ブラタモ』なぞり−その2−
これまで数回行った『ブラタモリ』なぞりの旅ですが、予習(録画を見直す)をせずに行ったことを悔やんだことはありません。
なのに「さざえ堂」に行くだけでも「帰宅して録画を見直してショックを受けた」のが3回も発生した今回。
そんななかでもっとも
「うわーん!」
と悔やんで嘆くことになったのが、実は泊まった宿でした。
この乗り鉄企画はJR東の【びゅう】のプランで行ったので、宿もJR推奨の候補から選びます。そこから、お風呂がもっともよさげだった宿を、わたしがチョイスしたのですが。
そこは【御宿 東鳳(おんやど とうほう)
ここの宙(そら)の湯という露天風呂が、期待どおりでとてもよかった! ので、ホクホクと満足したわけですが、それこそ帰宅して録画した『ブラタモリ』見たら・・・・・。
ブラタモ御一行が来てたー!!

なぜ来たかと言うと、この会津という地が典型的な扇状地であり、その扇状地の根本(?)というか、はじまる地形である
扇頂(せんちょう)から、扇形に広がった地形を確認できる場所に行きましょう、てことで来ていたのです!
タモリさんも褒めてたその立地。
でも名前は変わってなかったっす(あたりまえ)。
ああでも、ちゃんと予習しておけば、タモさん御一行が扇状地の地形を確認したこの(↓)レストランにわたしも行ったのに。

本来なら偶然とはいえ、番組に関わった宿に泊まったことを喜ぶべきところを、なぞり重視で考えると悔やまれるのであります。
ということで、これが「帰宅して」ショックのそのい箸覆蠅泙后



ですが当日のわたしはそんなことはつゆ知らず、温泉がよかったわぁ、と上機嫌で宿をあとにし、市内観光へと向かっていました。
そしてまずは「さざえ堂」を訪れたのは前回書いたとおり。
今回は「さざえ堂」の次に向かった鶴ヶ城なのですが、こちらもいきなりブラタモ御一行とは逆から入っていたことが帰宅して・・・(ショックそのァ法
番組のルートマップをご覧ください。
※大きい画面はコチラ
タモリさんたちは椿坂側から入っています。
なのに我々ときたら、反対側(マップでいうと右下)の “廊下橋” 側から入りました。
この橋です。

調べたら、もともとはこちらが城の正面入り口だったとか。また、葦名氏が城主の頃は屋根があったみたいです。
敵が攻めてきたら落とせるようになってる構造が一目瞭然、なのが面白いです。
しかも石垣が高い!(↓)
20mあるそうですから、確かに、橋を落とされたら堀を渡るのは容易ではなかったでしょう。
この橋と石垣を見られたから、こちらから入ったのは正解だったのかも、と己をなぐさめてみる(でもやっぱり残念)。

そしてうねうねと曲がりくねる登城路をゆくと、見えてくるのが天守閣です。
番組でも写真が出ていましたが、この天守閣は戊辰戦争でボロボロにされます。(↓)

ですからいまのこの姿は復元されたものです。
それでも凛々しくて優美ですね。
とはいえここでも帰宅してショックそのΔ生じます。
番組ではブラタモ御一行は天守に登っていたのですが、我々は時間がなくて外から眺めただけ、だったからです。
もうほんと、ぜんぜんダメじゃん。
でも天守閣は美しい。

お城の撮影は快晴の空の下に限るなぁ・・・。
表門(鉄門)。

そしてこのお城というか会津藩は、藩主がめまぐるしく変わっているのも特徴です。
歴代藩主の家紋一覧。私的には「上杉」にときめきメモリアル。



というところで帰りの新幹線に間に合うように会津を出なければならない時間が迫ってきており、急ぎ駅に戻ったのです。
いや、ほんとはもっとゆっくり観光したかったです。
またまた帰宅してショックそのГ任垢、街中にあるお堀の痕跡とか


門のあとの石垣とか

城攻めを防ぐクランクとか


用水路の水を均等に流すための工夫のクランクとか

見たかったよーー!! 
わーん(号泣)。

よし、こうなったら会津へはリベンジ観光だ!
いつかまた、きっと行くぞ!
ということで『ブラタモ』なぞり会津若松編はおしまいです。

おつきあいありがとうございました。


おまけ。
会津若松駅のショット数点。
駅外観(↓)

でっかい車輪(↓)は?

SLのもの。

駅舎の正面の壁の時計がオモシロかったので(↓)




さてところで。
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会津若松で『ブラタモ』なぞり−その1−
ホゲホゲしてたらあっという間に(なぜ「あ」なんだろうね、とはセンセイの問いでしたね)時間が経ってしまって、もう先々週の話しになっちゃった。
それでもやります『ブラタモ』なぞりクロニクル。
今回は【会津若松】。
乗り鉄企画の終点がこの地なのを知り、おおっ、あの「さざえ堂」があるところじゃないか、これは行かなくては、と密かに “なぞり紀行” を画策していたのですよ(とはいえ、録画を見直して予習しなかったことが帰宅後悔やまれることに)。

そんなこんなな番組の本放送は#43(2016年7月2日)の回でした。
いちおう
「歴女でーす」
と自称してはいるものの、わたしの得意は飛鳥・奈良〜平安、戦国(豊臣政権樹立まで)であり、逆に、苦手というか、もうはっきり言うと嫌いなのが幕末で、会津と聞くとまず連想される白虎隊にはなんの知識も興味もない偏向歴女なので、この回もどっちかというとそんなに身を入れて見ていたわけではないのでした。
それでも番組後半で紹介された「さざえ堂」には
「おおっ」
とココロわしづかみに。
いつか行ってみたい、とおもっていたのが、まさか1年後には実現するなんて、なのでありました。

しかし “なぞり” のくせに、観光スタート時点ではやくもしくじっている北村。
と申しますのも、番組は鶴ヶ城こと若松城から出発していた(帰宅してから録画した番組を見直してショックを受けるその 砲里任后
なのに我々は、わたしが「さざえ堂」を見たい一心で、先にそっちへ向かってしまった! のでした。
いや、別にそれでもいんだけどさ。
なんとなく、ちゃんと足あと、たどりたかったなー、と思うわけです。

つーことで、ではまず「さざえ堂」から。
番組のルートマップだとこんな(↓)感じ。

でね、ここでも我らはしくじってるのだけど、入山のルートがタモさん御一行とまったく逆になっちゃってたの。
御一行は用水の脇の神社から上がって行ってるけど、我々ときたら、こんな階段を!!
飯盛山、だからさ。わかるんだけど。
近くでご覧になって?
すごいでしょー?? ええ、上りましたよ、1段1段。
でもさすがに傘寿を超えたおかんは、階段と並行して上へ延びる「動く歩道」(番組では近江ちゃんが「スロープコンベア」と言ってる)を利用してましたが、タモさんがこれに乗ってたのを、帰宅して(以下略・ショックその◆法

確かに楽だったらしいです(おかん談)。
しかも、こんなに階段上ったのに、実はさざえ堂は頂上にはなかったという悲しい事実まで・・・。
そうなんです、飯盛山の頂上は白虎隊所縁の地であって、さざえ堂は裏手というか、もうすこし山の中腹にあるのでした。
ということでようやっとたどり着いた「さざえ堂」。


番組解説によると
重要文化財! 
内部が二重螺旋構造になっていて、上りと下りが決してすれ違わないのです。
造ったひとは、なんてあたまがいいんでしょうか。
では内部にお邪魔します。
まずはブラタモカメラ目線。

そしてわたしの目線。

二重構造なので天井が低いのが特徴です。だって頭の上は、下りの通路になっているんですもの。誰かが下っているとギシギシと音がします。
それを確認するため、番組では近江ちゃんが中心の柱の隙間をとおって、反対側へ行っていました。

それがここ(↓)(ただし反対側から見てます)。
むろん普通の観光客には許されていない行為ですので、わたしは眺めるだけですが、この建物の構造のおもしろさが、よくわかる場所でした。
にんげんて、こと宗教に関してはすんげー知恵を絞り出すものなんですねぇ。

そういえばつい最近、JRの駅で『行くぜ、東北』のポスターに遭遇したら、松岡茉優ちゃんがこのさざえ堂におるやつやった。
そう、コレコレ(↓)
公式サイトに撮影エピソードなどあるので、よかったらどうぞ(JR東のまわしものではない)。

さて、さざえ堂のある飯盛山は先述したとおり、白虎隊の終焉の地として知られています。
頂上の自刃の地以外にも、逃げ込んだ洞窟もあるとか。
しかもそこは用水路の終点の池の中。
こんな感じです。
正式名称は【戸ノ口堰弁天洞穴】というそうな。
きっと白虎隊ファンは見ただけで涙するのではなかろうか。
でもわたしはそのへんには疎いので、水がキレイだなあとか、立派な用水路だなぁ、とかに感心して見てた。
そんでうっとりしながら撮影した場所が(↓)
帰宅後、録画見たらブラタモ御一行が通り過ぎてた場所でショックを受けたその


というように、何から何までブラタモ御一行様と逆行している我らの会津観光。
このあと鶴ヶ城に向かうのですが、長くなるのでそれは次回へと続くことにいたします。
とりあえず、さざえ堂を堪能する、の巻でした。



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仙台と大阪で『ブラタモ』なぞり!−その3−
『ブラタモリ』視聴時必要用語の基礎知識−なんてものはとくにありませんが、ひんぱんに出てくるコトバは、確かにあります。
その筆頭がズバリ【河岸段丘】。
漢詩由来の四字熟語のような字面と語感と響きをもっておりますが、れっきとした地学(地理)用語。
学生時代は地理より歴史を選択していた私はこの四字熟語をまったく覚えてなくて、この番組で知ったわけですが、いまでは川沿いの土地に出くわすと、近辺の地形が段々になっていないか探してしまうほどになりました。
そして次が【凝灰岩】。
火山国日本ではいたる所で凝灰岩が顔を出している、ということもこの番組で知りました。
と同時に地層の奥深さと面白さも味わいました。
まことありがたき番組であります。

そしてそして!
教科書に使われるような用語ではないけれど、知識として覚えておきたいのが【直線(の道)をみたら秀吉とおもえ】、なのです。
この教えが最初に使われたのは2016年5月7日放送の「伏見」の回。
秀吉が建てた伏見城城下町に走るまっすぐな道を紹介したときに案内人である京都高低差崖会崖長・梅林さんによって、でした。
わたし自身がこの教えを実感したのは長浜を訪れたとき。
こぶりな街ながらも碁盤の目の道筋に
「おお、まさに!」
と感嘆したのです。

そしてそしてそして!
伏見よりも秀吉の本拠地、みたいにおもわれてる大坂城城下町にも“秀吉イズム”はいかんなく発揮されていたわけです。
だってだって、ほら、下の地図をご覧になって?
江戸時代の古地図とのことですが、見事な格子でしょ?
たとえ豊臣家が滅亡しても、秀吉の引いた道筋は残っている。はっきり・くっきりと。直線マニア・秀吉の美学による街づくりですよ。

つーわけで昨年末に大阪で実施した『ブラタモ』なぞりクロニクル、最後は秀吉が城下町をつくることを選んだ台地のあかしと、その町に残るオモシロい町割りと歴史的遺構を見に行きました。
まずはこちらのルートマップなぞりから。
 銑をたどります。

,痢攵緜台地の北側を歩く】
この、どーってことない通りが台地の北側。
写真ではわからないですが、奥へ向かってゆるやかな下り坂(台地のへりへ向かってる)なのです。

続きましては△痢收个粒段】
ずーと平坦だとおもってたら突如現れる石の階段はこれ(↓)です。
へりです、へり! 台地のへりでございますよ、奥さん!!
タモさん御一行が降りたので、とうぜん我らも降ります。
そして見上げます()
これね。おもしろいんですけど、降りてるときはそんなに高低差を感じないのですが、下から見上げるとあらべっくら!
あんなに高いところから降りてきたんだわ! となります。
実生活でもにたよーなもんですわよね。見下してるほうは無意識だけど、見下されてるほうは神経質なくらい敏感、てやつ。
おほほほほ。

などというくだらない戯言はおいといて。
つづいてが下のルートマップの 銑とイ鬚燭匹詁珊圓。
私個人的には今回のなぞりのメインのポイントです。
なにせタモさんに
「合理的だとおもう」
と言わしめた、道筋(通り)を挟んで向かい合わせの区画でひとつの「町」にした『背割り』。
合理的かどうかは意見のわかれるところとしても、おもしろいことに間違いはない。
時間もちょうどそんな頃合いの、お昼休みはウキウキウオッチングなノリで、直線の道をたどります。

するといきなり。
その場所(↓)は現れます。
タモさんも驚いた街区表示板の並び(ルートマップの 法
その実物。
実際に見ると、奇妙さが際立つのであります。
ではもういっちょ(ルートマップの◆法
町割りの仕組みはこう(↓)いうことですね。
そして、背中合わせになった家屋と家屋の間(上の画面の赤い線のところ)に、秀吉は排水溝をとおしました。
いまでもその排水溝が使われている箇所があり(ルートマップのァ法畋盛沺頁愕笋蝓鵬漆紂曚般召ついています。
この道路(ルートマップのぁ銑イ瞭察砲硫爾法△修稜喊綛造。
そしてその一部は、見えるようになっているのですが・・・・・。
なんと!
師走の外気温度と、この白い囲いの中の温度差のため、アクリルの窓は真っ白く結露しており、見えないのでした!!
うあああああ(泣 なんとかしろー、大阪市ーー!! ヒーターでも使って冬でも見えるようにしろー!!
それでも頑張って撮影したんだけど、どう?
うっすらと石垣と水の流れが・・・・・・見える気がしませんか?
どうもすんません・・・・・・。

で、この下水の施設は、見学もできるんです。

番組でもタモさん御一行はこのドアの中へ入っていました。
なので私も! と勇んで問い合わせの電話をかけたら
「年内は28日までなんですわー」
とのことでした。
とことん、持ってない女です。
でもまあ、見たかった階段や街区表示板の並びは確認できたから、よしとしないと、なのです。


というわけで、全3回にわたってお送りしてまいりました仙台と大阪の『ブラタモ』なぞりは、これにて終了でございます。
相も変わらずの長文でございましたが、お付き合いくださいましてありがとうございました。
さあて、次はどこの“なぞり”をしましょうかね。
沼田とか、行ってみたいなぁ。


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仙台と大阪で『ブラタモ』なぞり!−その2−
わたしの生まれ育った田舎の街は、面前が海で背後が山という地形で、海側から陸地にむけてゆったりとしたのぼり坂で高くなり、頂点ですこし平坦な台地でそのあと山にむかって坂をくだる、そんな高低差がありました。
おそらく海岸線に沿って砂丘っぽいものがあったのではないかと推察されるのですが、ちゃんと調べてないので、是非ともタモさんに来てもらって、あの高低差の謎を紐解いて欲しいものです。

というわけで、昨年末の『ブラタモ』なぞり。
続きましては【大阪(2016年11月5日、12日放送)】編です。
(こちらも旅のルートはコチラコチラでご確認ください)

この【大阪編】は、たいへんにワクワクして見た回でした。
特に大坂城が半島の突端に作られており、その城下町は半島の上の台地につくられていたというくだり。
くわえて大阪駅近辺や、市内随一の繁華街近辺が大昔は海の中だった歴史は、それって江戸と一緒じゃん! 大阪と東京ていう大都市のなりたちがおなじって、不思議! おもしろい! てなふうにワクワク。 
こんなに高くてはっきりとした台地だったなんて!
ここに秀吉が、自身のこのみ(都市経営観念)で以てつくった城下町。その痕跡があちこちに散りばめられた街を、見ないなんて勿体ないでしょ、そうでしょ!
という勢いで、年の瀬の大阪で“なぞり”を実施したのでありまする。


とはいえ“なぞり”の順序としては【ブラタモリ流真田丸探し】が先。
先述でリンクを張ってる番組サイトの旅ルートを頼りに
「このへんが真田丸だったっぽいよ?」
なポイントを目指します(下の地図だとい筬イ△燭蝓法

真田丸の跡地っぽいよ? ポイントを先に探すことにしたのには特に理由はないんですが、強いて言うなら発見されたばかりの【真田丸を描いたとおもわれる絵図】(↓)の影響、でしょうか。
ドラマ放送中にこういうものが見つかるという偶然がこれまたワクワク感を盛り上げてくれたので、謝意を表してこちらを先にした、てことにしといてください。
でもってそのポイント周辺には実は真田の名残がわりとあって、旅ルートの地図にもあるように「真田山町」なんていうまんまな町名もそのひとつ。
また、こんな町名も。
真田丸の出丸周辺に掘られていたとされる空堀が由来だとおもわれます。

ところでわたしが本格的な『ブラタモ』なぞりを行うのはこの大阪で3箇所めなのですが、初めて同胞に出会いました。それも複数。
皆、スマホ片手に同じルートをたどっているのですぐ解る。
さすが『真田丸』というべきなのでしょう。
でもなんかこっ恥ずかしいものもありまさーね。
たとえば、こぉんなフツーの街なかを、グループが複数組、おなじアングルで同じ個所を撮影してたりする光景なんかはモロに恥ずかしい。
それはなぜかといったら、番組でタモさんが
「真田丸の出丸はここ!」
と認定したから。

碓氷峠近辺の分水嶺認定の時と同様、この出丸認定されたお宅の方は、さぞべっくらこいたでしょうね。
お騒がせしております。

また、こちらの坂も大人気。
当日もガラホから実況した坂ですが、ここはタモさんが気に入った坂、だけでなく、空堀のあとではないか、とされている箇所でもあるので、訪れるひとも多いようです。

確かに、坂としてもいい感じ。
そして、そんないい感じの坂の途中にはお寺が建っていて、そのうちの一社はどういう所縁か、やたらと真田推し。
こんな(↓)石碑や
こんな(↓)解説案内板や
こんな(↓)お墓や
こんな(↓)案内が。
うーん、さすがヘイヘイおおきに毎度あり、商売繁盛難波の商人。
なんせ、学校でさえこういう(↓)ものをおっ建てちゃうくらいだもんね。
平成28年、て刻まれてるから、ほんとに建ったばっか。でもそれも仕方ないわけで、この学校には発見された絵図のいちばんひろい敷地のとおりにグラウンドが残ってて、まさに
「真田丸はここ!」
なところだからね。
(画面左側に空堀のあとでは? とされる坂と真田推しのお寺がある)


というところで【ブラタモリ流真田丸探し】はおしまい。
おもいのほか長い時間をかけてしまった探索になったのでオドロキでした。

さあ、次が秀吉の城下町に残る「秀吉イズム」を見に行く“なぞり”です。
と、その前に。
真田丸探してたら、すごくおもしろい坂発見!
写真奥の坂の勾配の激しさといったら!
番組ではとりあげられなかったけど、これも真田丸に関係してるのかも。
なんせこのあたりは空堀だったり、堀だったりと戦(いくさ)に備えていろんな対策がなされたところだろうから。
うわぁ、そう考えると坂道って、ほんと、ドキドキする。

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仙台と大阪で『ブラタモ』なぞり!−その1−
ちかごろ、まちなかで坂を見るとドキドキワクワクするようになってしまった『ブラタモリ』脳まっしぐらの北村です、こんにちは。

(一般的に)松の内も本日までということとて、本年一発目の記事は、昨年の師走にたてつづけて『ブラタモリ』でとりあげられたスポットに行ってみた“なぞりもの”、でいきたいとおもいます。
おもいますのですが。
それぞれのメインはウチのおじぃたちのライブでしたので、遠征にかこつけてちゃっかり寄り道、なので、完璧な“なぞり”というわけにはまいりません。
それでもわたし自身が
「ここだけはどうしてもこの目で確かめたい!」
という場所には行けたので、たんなる自己満足レベルの“なぞり”でありますこと、予めお詫び申し上げておきます。

では、そんな自己満程度具合な“なぞり寄り道”、とっとと始めることと致しましょう。
まずは【仙台(2015年7月11日放送)】よりスタート!
(旅のルートはコチラでご確認ください)


この日のテーマは『伊達政宗は“地形マニア?!”』ということで、政宗公が城下町を作る際に仙台の地形をうま〜く利用していた、ということを検証する街歩きでした。
特に興味深かったのは“水の確保”についてです。
この“水を確保する”というのは、その土地を治める領主にとっては欠かせない事案で、この番組でも何度もとりあげられてきました(例:金沢の辰巳用水、小田原の小田原用水、沼田の用水路)。
仙台でもそれは同じで、政宗公ははるか山奥から城下町まで四つの谷を越える用水路を引いて、領民の生活に潤いをもたらしたわけです。

というわけで、この番組を見てると自然に「用水路」に関心が湧いてくる(モノが“水”だけに)ので、この用水路も見てみたいなぁ! とおもったのですが、なにせ水源付近や開渠で残ってる用水路は街なかからはかなり遠い。
車という機動力がないと、ちょっと・・・・・・いや、かなり厳しい立地条件なので、とりあえずわたしの生身の足で行けるところだけを確認しよう、ということにしました(いつかあの水源付近や、用水路唯一の開渠が見られたらいいな)。

さて、その用水路の跡地や、用水の活用の現状が確認できる場所は仙台駅から歩いて行ける繁華街のなかにあるのでした(地図内のとぁ法


まずはい痢悵軻参(いろは)横町の井戸』。
(番組のタモさん御一行)
(実際に行って撮った現地)
映像で何度も見た現場に立つと、やはりドキドキ致しますですね!

そしてお目当ての井戸!




今も現役で地下水を汲みあげる井戸ポンプ。
この水は、四谷用水がもたらした思わぬ恩恵の地下水という解説が、番組内でなされていました(水をとおしにくい岩盤の地層と、水をとおしやすい砂礫層のはたらきが云々・・・・・・というとても専門的な話。桑子しゃん同様、よくわかりません)。
ひとしきりポンプを漕いで、意味なく水を放出し、手で受けて、そうか、この水は400年近い歴史の証人なんだなとじんわり感動。
これもまた、現地でこそ味わえるものでしょう。

このあと、この地下水を利用していると紹介された鰻屋さんを探したのですが、残念。
午前中であったため、この横丁全体がまだオヤスミモード。
ほとんどのお店が開いてません。なので、鰻屋さんも発見できませんでした。
そのかわり、面白いお店に遭遇することができました。
番組には関係ないけど、ちょっとだけご紹介。

まずはこんな看板を掲げるお店。

「店主が眠くなるまで営業します」
という【昭和レトロバー】。
なるほど、懐かしいったらありゃしない看板の数々。
グリコの牛乳瓶入れも、昭和生まれの人間にはたまりませんね。

そしてこちらはウチのセンセイなんかが気に入りそうなお店。

画面左側でピンボケしてるポスターは【ガンズ&ローゼス】の追加公演のお知らせだったりしています。
ちょっとなかを見てみたいですね。


こういったお店もあるこの横丁。
次回は是非とも各店舗がオープンしてから訪ねてみたいものです。
きっとまた違う顔が見えて楽しいはず。


さてお次は、今回、井戸よりも見てみたかった用水路の跡地を訪ねます!(上の地図の)。
題して『仙台で一番にぎわうアーケード街に残る用水の痕跡』。
伊達家が治めていた時代、このあたりは用水路を挟んで、武士の街と町人の街とにはっきり区分けされていたとか。
その境界の意味もあった用水路の跡が、繁華街のなかに! というとてもワクワクするシチュエーションなのです!
これは絶対に見たい! となるでしょ、そうでしょ!!
番組ではこんな感じで紹介されていました。

そして現地はいともあっさりとフツーにわたしの目の前に現れます(まあ、あたりまえなんですけども)。
でも、わたしにはたいへん嬉しい現地なのです!
ここに昔は用水路があって、右と左とでは街の趣旨(?)が違っていた、わけですから、いろいろ妄想逞しくなるのです。
というか、歴史好きは妄想力が高くないとやってらんない趣味なのです(断言)。

ところでこういう繁華街ではなにに苦労するかといったら、人の流れの途切れる瞬間を待つ、ことです。
こういった歴史的におもしろい箇所を撮影するとき、なるべくなら現代人が写りこまないようにしたい、と願うのはしぜんなきもちなわけで、この時も、かなりの忍耐を強いられました。
なにせ休日の繁華街。まったく人がとおらない瞬間、にわたしは巡り合えなくて、ようやく撮れたのが下の3枚でした。


まあ、こんなもんでしょうかね。
とにかく仙台では、この用水路の跡地には絶対に行きたい・行くのだと決めていたので、この目で確認できて満足したのでした。
ばんざーい。


【大阪編】は次回へつづく!


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『ブラタモ』なぞりやってみた−その弐−。
といったわけで『その弐』です。
引き続き旅のルートはこちらで確認して頂くとして。


なぞり旅2日目は、鉄道に関するルートへ参ります。
今回の旅で、わたしが
「とにかくそこをこの目で見たいの!」
そう熱望していたのは、初日の“分水嶺”と、本日のここ!(↓)
明治の鉄道遺構、レンガ造りの橋なのでした!(※生憎この日は曇りで、写真が暗くなってしまってます)
通称めがね橋。
ここはもう、番組見ながら
「ここ行きたーい、行こう、ぜったい!」
即決したポイントです。
こんな素晴らしい鉄道遺産があるってことをこれまで知らずに生きてきて、ホント、もの知らずな己が情けなくなりましたのですが、こうしてちゃんと確認することができました!
素晴らしい! とにかく素晴らしい!!

明治〜大正時代はレンガの建造物が多く造られましたが、その建築技術は現代のそれに引けはとらないと感じます。いやむしろ、上回ってるかもとすら。

この橋の上は現在は遊歩道になっていて、もちろんタモさんたちも上がっていましたので、我々も。
上からの景観を普通にパチリ。

それとオカンのコンデジの機能“ミニチュアライズ”でパチリ。

そして橋の上。


実はこの橋の上をはじめとするこの線路跡はいま『アプトの道』というハイキングコースになっていて、トンネルの先もずーっと歩いていけるのです(その始・終点がこのあとの目的地)。
そんなわけで我々も少し歩いてみます。


道は緩やかですが、ずっと傾斜しています。
面白そうなので、次回はこの『アプトの道』ハイキングコースを制覇してみようとおもいました。
夏あたりに歩いたら、気持ちよさそうです。


さて、このめがね橋を満喫したあとはタモさんたち最後の立ち寄り先でもあった場所へ。
『碓氷峠鉄道文むら』!
ここでタモさんは機関車を運転体験してましたが、わたしはそこまでは致しません。
でも、タモさんたちが見たものはぜんぶ見た! はず。
例えばタモさんが力説していた【アプト式】レール。

この歯車で車両を引っ張り上げていたのですね。
で、この歯車に乗っかってたのがこの車両(↓)

(駆動音「ダンシ・ジョシ、ダンシ・ジョシ!」)
いやぁ、凄いです。ボキャ貧ですが、凄いとしか言いようがない。

そのほかにはデゴイチもあったりします。

あ、そうそう。
さすがにこのあたりはまだ桜が残ってて、この施設も見頃でした。


この、桜の下を走る列車に、のちほど乗車しましたが、その前に機関車の運転席にも座りました。
たぶんタモさんが運転したのと同じ車種だったはず。
撮影が妹たちなんで、イマイチ列車に対する熱がこもってなくて、ここでの撮影点数が凄く少ない。
なのでいろいろ確認したくてもできないのが哀しい。ああもう、ほんとになんでSDカードを失くしちゃったんだろう。
貴重な画像データがたくさん入っていたのに・・・・・・。
などと嘆いてもアフターカーニバル。


施設には、外周をぐるっと一周する小型のSLがあります。
それがさっき桜の下を走っていた赤と緑の車両の『あぷとくん』。
ちゃんと石炭が燃料です。
煙突から出てるのもほんものの煙。だから風にのってくるととても煙い。
けど可愛い姿なので、喜んで乗り込みます。


一周は約800mだそうで、ゆっくりゆっくり走ります。
車窓からは桜がより近く見えます(でも煙い)。


時折警笛をポッポーと鳴らします。
去年の愛媛・松山の坊ちゃん列車をおもいだします。


施設には資料館もあって、ジオラマもあります。
ほかにも絶妙な鉄道グッズを売っているお土産屋さんもあり、なんともいえないビミョーな楽しさを醸し出している『碓氷峠鉄道文化むら』。
小さなお子向けの乗り物遊具もあるので、手軽に遊びに来られるいい施設だとおもいました。


というわけで『ブラタモ』なぞりは無事に終わりました。
ほんとはちゃんと坂本宿も行ったのですが、そこはおかんも妹も写真を撮ってなかったので、画像が出せません。悲しい。
でも反省して、次回は上田市か沼田市でなぞりを実施したいとおもっています。
(上田は今春ツアーに入っているので、遠征からめて行きたかったんだけど、できなかった。上田参加する方、是非『ブラタモ』なぞりをお試しください)




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『ブラタモ』なぞりやってみた−その壱−。
わたしがいまいちばんすきで楽しみなテレビ番組は『ブラタモリ』であります。
なんとシーズン1から全部録画して保存してあるほど、すきなのです。
でもって、シーズン3までは都内をメインに関東近郊でタモさんはブラついていたので、それを目的としなくてもなにかの拍子に
「あ、こここないだ『ブラタモリ』でタモさん歩いてたところだ」
という偶然で、意図せずに“なぞり”ができてたりしましたが、今シーズンからは全国津々浦々にタモさんがお出かけするようになったので、これまでのようにはなぞれなくなったわけです。
でもまあ、タモさんが行ったところにはぜんぶ行きたい、ぜんぶ! というほどではないので、いつかは行けたらいいなぁ、くらいで見ていたのでありますが!
去年(2015年)11月21日放送の『軽井沢への道』の回を見てしまった日には!

「もう、ぜったいぜったい、行きたい!」

になりました。
なので、雪が溶けて川になって流れてゆきますな春を待ちわびて、先日ようやく、行ってきましたー!!
ヒャッホー!
というわけで、ここからその【『ブラタモ』なぞり】の全容をご覧いただきましょう・・・・・・と言いたいところですが、なんと。
わたしがとんでもないポカをやらかしまして、せっかく撮影した数々の現場写真のデータが入ったSDカードを紛失してしまいました。
ああああ、もうなんてこったい! なのですが、救世主は居た。
一緒に行ったおかんと妹です。
ふたりもそこそこ撮影していたので、今回はその写真データを拝借して、臨みたいとおもいます。
(仕方ないことだけど、借り物なのでわたしが欲しいアングルが全部揃っているわけではないです)
とりあえず、タモさんたちの旅のルートは、上でリンクした番組公式サイトで確認して頂くとして。

まずは碓氷峠の県境。
当日も写真をアップしましたが、ここには長野と群馬の県境があり、熊野皇大神社の境内をその境界線が走っているのです。おもしろい現象(?)ですよね。

江戸の昔から国境だった、というのも歴史のロマンを感じます。

でもってこの神社からちょっと進んだところにあるのが、『タモさん認定“分水嶺”』。
地理の授業をおもいだした人もそうでない人も、とにかくここで、降った雨の流れが太平洋側と日本海側に分かれるのです!
ここ、ここ!!(↓)
このお宅の人はべっくらこいたでしょうねぇ。
まさか自宅の前の道をタモリさんに“分水嶺認定”されるなんて、おもってもみなかったに違いありません。

このあとはすこし戻って見晴らし台へ。
当日は快晴だったのですが、春の霞で見通しはちょっと・・・・・・という状態でした。残念。

富士山が見えることもあるようです。

番組では、タモさんと桑子アナがここの前で写真撮ってたので、我々も。

でもってここのあとは「いちにちじゅうやまみち」こと旧中山道。
タモさんたちはかなりな距離ここを歩いていましたが、我々はちょっとだけ。
けどこの道も江戸の頃の面影が残っているのかと感慨深いものがありまする。
いまおかんと東海道53次ウォークやってる(先日無事、箱根越えました)ので、余計にしみじみ致しました。


ということで、一日目はここまでに。
いや、わたしは当初日帰りで決行しようと考えていたのですが、妹が
「日帰りなんてぜったいムリ!」
と主張するので、運転をお願いしている手前、その意見は最重要視して、軽井沢の名ホテルへ宿泊しました。
軽井沢の名ホテル、と言えば・・・・・。
そうです、ここです。

横浜グランドホテル、箱根富士屋ホテル、奈良ホテル等と肩を並べる国内屈指のクラシカルホテルです。
館内もいたるところいい雰囲気。
おもわず撮った(わたしが、じゃないけど)写真をこんなふうに加工したくなります。





ホテルのカフェでいただいたお茶のカップとソーサーには、ホテルのシンボルである鈴蘭があしらわれています。(↓)

ホテルの人のはなしによると、我々が宿泊した日はとても暖かくて天気も良く、ラッキーとのこと。
なんでも4月上旬の軽井沢はほんとうならまだ“冬”で、雪が降ってもおかしくない気候なのだとか。
実はうちのおかんは強力な「晴女」なので、今回もそのパワーは発揮されたようです。

てなわけでひとまず初日でいったん記事をアップします。
でないとまた長文モノになってしまうのでね。
続きは『その弐』でお楽しみください。


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