7年目。
「まだ」7年、だとおもう。
無情にも時間は過ぎていくが「まだ」だと。
去年は春と秋に福島に行けた。
今年も年内に東北のどこかへ、行きたい。
それしかできないけれど。

今夜のスカイツリーは天の人々に『花』を届けるため、10分ごとに5種の彩りで輝いている。





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あの焼け野原から立ち上がったエネルギー。


この地図で赤くならずにすんだところに居住地を定めて30年が経とうとしています。
屋移りする前のアパートの大家さんは、焼けずに済んだこの区域から見えた上野駅のことを、毎年この日にわたしに話していました。

その焼けなかった地に建つツリーが、亡くなった方々への鎮魂の祈りをこめて、静かに白く佇んでいます。



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態度とスタイル。



実はこの競技(スロープスタイル)を観るのがすきだ。
前回のソチ大会の時、漫然とテレビで観ていたのだが次第に
「なにこれ、おもしろい」
すっかり夢中になってしまったのだった。
なので今回は楽しみにしていた(実施日が土曜だったのはありがたかった!)。

結果、日本の若いふたりの選手は残念だったけど、競技そのものはやっぱりおもしろかった。
しかも今回のコース、かなり難易度高そうで、通常の大会では上位に名を連ねる(らしい←実況の受け売りだから)選手たちも、1回目の滑りでは転倒や着地ミスからのスピード不足によるコースアウト連発。
それにハラハラしっぱなし、てのも観戦する甲斐があるってものだった。


ところで。
スノーボードといえば思いかえされるのはバンクーバー大会の時の「腰パン騒動」。
わたしも当時は「彼」を「みっともない」とおもった側だったし、いまでも「腰パン」スタイルはきらいだ。男のパンツの一部なんて見たかないから。
なのに今大会もそのスタイルで滑ってる選手も少なくなく(でも大半は防寒対策で腰を覆っていた)、パンツのゴムが見えちゃったりしていた。
でも、なぜだろう。
8年前よりは嫌悪感がかなり薄れていた。
わたし自身が年取って丸くなったせいもあるかもしれないが、やっぱり競技の認知度が高くなったことと、選手たちの態度が当時の「彼」とはまったく違う(ようにふるまえる)から、というのもあるのではないかとおもう。

上に貼りつけた記事のインタビューを読んでもわかるように国武選手の話し方はとても「大人」だ。
「言い訳になるから言いたくない。実力です」
なんて、逆にいい歳こいた大人でこんなに潔いこと言えるひとがどんだけ居るだろうか? てなくらいだ。
そして国武選手の競技に臨んだスタイルは、いわゆる「一般的なスノボファッション」なので、全体的に「ゆるい」し、惜しくも8位だった大久保選手に至っては妙な三つ編みみたいな飾りを付けてて
「なんで?」
だったけども、「態度」はとてもきちんとしていた。

この「きちんと」という部分が、実はとてもたいせつなのではないか、とバンクーバーから8年経って、改めて感じた。
「スタイル」はスノボ世界の、ゆるい・着崩し・だらしないファッションでも「態度」がきちんとしてれば、多くの年配者は、やかましく責めたてたりしないのではないか、と。
そりゃ眉をひそめることもあるだろうけど、8年前の「彼」に対してしたような大激怒は、しないとおもう。
わたしだっても、スノボ選手だけじゃなくスケボ選手たちのインタビュー映像などを見るうちに、たとえスタイルが「チャラ」くても、受け答えが「きちんと」していたことが記憶として積み重なり、ひいては今回の観戦中に、以前ほど「腰パン」に対する嫌悪感が薄れていたことに気づいたくらいだから。
やはり「きちんと」した態度、というのは大事なのだ。

ということを、若いひとには伝えたいとおもった。


しかしスノボ(とスケボ)の技の名前の難解さはフィギュアスケートに慣れてる身からするともう少しわかりやすくしてほしい、とおもう。
「こーくすくりゅーてんえーてぃー」
っぽいことばっかり連呼されても「?」だらけだ。
(そういうのを全部勉強して理解して実況してるアナウンサーはとてもえらい)


※バンクーバー大会時の「腰パン騒動」がわからない人は、ぐーぐる先生に訊いてください。

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あさひじゃないひとのために。その3−長くたっていいじゃないか−


ファイナルの城ホールで、センセイが突如として取り上げた新聞のコラムは12月27日付けの朝日新聞『天声人語』。
その現物をpdfにしたので、読みたい人は降ろして読んでください。

ただしパソコンやスマホがヘンになっても責めないでね。

てなわけでそのデータはコチラからどうぞ。

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グループにしちゃえば?


どれかに決まったら決まったでどうせいろいろ騒がしくなるんだろうから、もうこの6キャラをひとつのグループにしてマスコットにしちゃえばいいのに。
グループ好きな国民なんだし。
それぞれ"推し"とか言って盛り上がるんちゃうんか。
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ペンギンでピピっ!
来月、ホールファイナル(私的)で名古屋に行くので、始動してすぐ会員登録してあったJR東海(西日本)のシステム『スマートEX』を使って新幹線を予約してみた。

これの何が嬉しいかってーと、ココよ、ココ!
(↓)

んだんだ、suicaで乗れちゃうところよ! つまり「チケットレス」。登録・年会費無料なのに!

ひゃー、べんりー!

次はJR東日本もこれを使えるようにして欲しいなぁ。
(さっき「新感線」のネタだったので、今度は「新幹線」のネタにしてみた)

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一票の重み。


わたしが選挙権もらった頃、似たようなことをおとんに言われた。
「投票したい政治家がいなくても投票には行きなさい。なぜなら投票率を上げて票を分散させることに意味があるから」
「どーゆーこと?」
「たとえば候補者3人・有権者100人の選挙をしたとして、30人しか投票しなかった場合、当選者は得票数18だとしても投票しなかった70人のことを気に掛けなくなる。何をやっても黙って従うだろうとなめてかかり、投票してくれた18人にだけ手厚い対応をする。でも70人投票して得票数36で当選した場合、棄権したのが得票数より少ない30人でも無視できなくなる。対立候補に投票した人たちの存在があるから」
「投票しなかった人たちと対立候補者に入れたひとたちが結束したら負けちゃうから?」
「そう。何がきっかけでそうなるかわからない、という危機感を抱かせることができる。だから勝手なことができなくなる。でも投票に行かないとその危機感を煽れない。そのためには投票には行かないと」
「うーん・・・」
「誰に投票していいかわからない、と言うならいちばん当選しなさそうな人にいれておけばいい。勝たせるだけが有権者じゃないよ」
正直、当時はピンとこなかったけど、わたしはこの教えを律儀に守り、選挙には必ず行っている。
そして、比較的まともそうな公約をかかげ、でも当選しなさそうだな、てな人に投票している(なのに一度だけそれを読み間違いて当選させてしまったことがある。青島都知事だ。以来、著名人には絶対投票しないことにしている)。

ということで、突然衆院選があることになってしまったねぇ。
最近は “圧勝” が続いていて、おとんの理論も通じなくなってる気がするけど、それでも票の分散は意味があるとおもう。だから一票、投じに行くよ、面倒だけど。
しかし今回は投票に値するようなひとが
「ひとりもいねぇ」
選挙になりそうな予感しかしてない。

皆さんもとりあえず投票には行きましょうね。
楽しいとはおもわないけど。




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ヌシ、現る。
カワウソって聞くと反射的に「黒川主」と連想してしまうけど、それはおいといて。

カワウソを漢字表記すると

『獺』

ですよね。
んで、この字を見ると反射的にある一定数は
「あー、呑みたいっ」
てなったりします。

まだ夏になる前、地元の友人が上京してきた時、夕飯を共に摂った店にはその呑みたくなる銘酒【獺祭】があって、わたしもおもわずオーダーしてしまったんですが、したら、なんかこんなのくれたんです。
すぐ飲むにはちょっと躊躇われるものだったので、ずーっと冷蔵庫に入れといたらこのニュース。

きっとこいつが飲んでほしくて黒川主を呼んだに違いない、とおもったので、さっき頂きましてございますよ。

・・・・・・お米屋さんの空気、呑んでるみたいでした・・・・・・(伝わる?)


正直、美味とは言い難い味。
これならぜったいあまざけのほうが旨い、というのはわたし個人の感想です。

どなたか他にこれ飲んだことある方いらっしゃいます?
お味、どうでした?



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祈り。
わたしが初めて広島の地を訪れたのはこの時で、もう9年も前のことになってしまった。

この遠征のとき『広島平和記念資料館』に寄ったのだが、そのときのことを書いたエントリを今日、再びリンク貼るので、お時間ある方はご一読ください。

この資料館には、一度は行ってみるのがいい、と、今でもお薦めします。


2008年12月7日のエントリ『Love&Peace.』
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哀悼。


女性で、がっつりした歴史小説を書く作家さん、というとこの杉本さんと永井路子さん、がわたしのなかでは双璧なので、とても残念である。

でも、正直に申せば読みやすいのは断然、永井さんだった。
なんせ杉本さんの文体はとにかく硬くて、格調高い言い回しや、日常あまり聞かない言葉がたくさん散りばめられていて、すらすら読める、というのにはとても遠かったから。
あと『散華』のときにとてもショックだったのが、わたしが敬愛する清少納言をボロクソに貶めて書かれたこと。
紫式部の生涯を書いた作品だから−にしたって、ここまで酷く書かなくてもいいじゃん、なんだ、杉本さんも式部派なのか、そっかぁ、と、がっくりきたことを未だに根に持っているほど、悲しかった(永井さんが書いてくれた少納言がそこそこ良いキャラだったから対比してしまって余計に)。

それでも読み応えは、とてもあった。
気軽にページがめくれないぶん、読み終わると、大きな仕事を成し遂げたようなきもちになった。
そして、アタマに刻み付けられたフレーズが、時折ふいに浮かんだりするようにもなった。
そんな作品を書いてくれたことを、心から感謝したい。
ありがとうございました。
ちなみにわたしがいちばんすきな作品は『天智帝をめぐる七人』でした。






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Text:©2004 瀬戸際日記Neo.
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