“偉大な父”という名の壁。
『ゲド戦記』鑑賞。


困ったことに……。


褒めどころがない。











宮崎の吾郎監督は、なにを言いたかったのだろう。

いやさ、なにをしたかったのだろうか。

おとっつぁまの手法(ソフト)を受け継ぐのは自分だ! と世間に宣言したかったのか。
はたまた、おとっつぁまはカンケーねぇ、オレはオレの流儀で行くんだぜ! と言いたかったのか。

どちらにしても、伝わってこない。
前述の意図があるのなら、物足りずな中途半端で、後述の意図なら、明らかに失敗だ。


物語は、とっちらかりすぎている。
エピソードのひとつひとつが拾いきれておらず、結局アレはどーしてなの? という「?」マークがアタマのまわりに浮かんだまんま、になる。
タイトルが『ゲド戦記』なのに、ゲド(ハイタカ)、ぜんぜん戦わないし。
そこんとこも、監督、いったい何をしたかったの? と言いたくなる所以だ。
おとっつぁまにも物語をほっぽらかしにするところはあったけど、それでも要所は押さえてたよ。
でも、それをしてない。

んで【ジブリ作品】としてみても、つまるところ

『ナウシカ』+『もののけ姫』+『千と千尋』

という印象を、どうしても受けてしまう。
ほとんどが“いつか観た場面”。
そして“いつか聞いた声”。

これって、狙いなの……?

狙いにしてはハンチク極まりないわけで、本職の声優さんを使わずに行きたいなら、おとっつぁまの作品に出た人は避けるか、もしくは、まんま踏襲するかのどちらかにしないと、気持ち悪くってならん。
クモとウサギの関係は、どう見たってエボシとジコ坊なのに、そいでクモが田中裕子さんなんだから、いっそのことウサギも小林薫さんにすれば小気味いいものを、あえて香川照之さんにしてみたり。
でも小林さんも別の役で出てるから、余計すっきりしないという、観客にフラストレーション与えてどーすんだ。

アレン役に岡田くんをキャスティングした意図もわからん。
ハウルが木村さんだったから? と、ほとんどの人は思うだろうし、でもそれってダメじゃん、戦法としては。

しかも、岡田くんの声が、アレンの顔に、まったくと言っていいほど合ってない。
声だけ大人で、顔がコドモ。
アレンというキャラが、そういう“アンバランス”さを持っているのはわかるが、それでも岡田くんの声は大人すぎ、また岡田くんがうまいだけに、違和感ばかりが強くなり、映画が終わるまでアレンに馴染めなかった。
岡田くんで“アンバランス”を描きたかったのなら、それは実写でやるほうが断然いい。
アレンの、まさに“いまどきの若者”な部分とか、少し成長するところとかを、きっと見事に演じるであろうから。

とはいえ、アレンのその“いまどきの若者”っぷりの描き方は、悪くは無かった。
特に物語冒頭の『父親殺し(?)』。
このへん、わたしは西のほうで起きた、自宅に放火して家族を死なせてしまった少年の事件を連想し、そういう意味ではアレンにはリアリティがあった。
もしかしたら、吾郎監督はアレンに自身を投影させていたのかも。
“偉大な父”を持つと、息子はたいへんだぜ。

っつーことで、吾郎監督が2作目をと考えているのであれば、もっと我流を全面に打ち出していかないと。
観客は2度目は許さないとおもう。


このまえの『月イチゴロー』で、殿下がこの作品を
「語りすぎ」
と評していらしたが、それは致し方ないことであろうとおもった。
この物語は、言い聞かせる物語なのであるから。




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Comment








>acoyo姐様
そう、不憫。
それを感じさせてしまっては根本的に×ですよね。
これまでアニメの仕事してなかったのに、なんだっていきなりこっち(アニメ)の世界に来たんでしょう。
親父様の壁は、ものすごく高くて厚いのに。
いっそジブリでないところでやったほうがいいとおもいました。
from. 夏葉 | 2006/08/23 21:18 |
見てないのですが、あの「絵柄」を見た瞬間、ダメだろうなあと。正直、「世襲制」という言葉がその前から閃いてたし。
というかジブリという呪縛、宮崎という呪縛を背負わされた息子さんが不憫だなあと思いました。
次回作は「ジブリカラー」から解放された形で見たいですね。そうでないと、彼の力が見積もれない。
from. acoyo | 2006/08/16 15:18 |
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