『花』は何処へ行った。
元記事:「『世界にひとつだけの花』考」@Ohnoblog2


(卒業したのにこのカテゴリ使うとはおもわなかった)

「イヤだ」、「うそ臭い」、「負け犬ソング」と言う人々がいるのは知っていましたが、まさかこんなに激しい拒絶反応を示す方々がいるとは知りませんでした。
とゆーか、知ろうとしなかったのかもしらんですな、ファンでしたから。
まあ、そういった立場のものが書きますので、無意識に擁護的なものになってしまうのではないか、という危惧を抱きつつも本題。

この歌を
「嫌いだ」
と言う人たちの意見、解ります。
特に大野さんが書いている
だったら通知表なんか廃止すればいいでしょ。ナンバー1の価値を下げオンリー1を賞揚するなら、すべての評価軸は無効だよ。テストもするな。合唱コンクールも水泳大会も中止だ。ナンバー1を目指させるようなことは一切取りやめにしたらいい。

にはおおいに賛同します。
まったくもって、そのとおりなのですよ。
もし本気で
「ナンバーワンにならなくてもいい」
と言いたいのだったら、この曲は、オリコンランキングに参加しちゃ、イカンかったですよ(結果、1位になってますから)。


ただ、この歌で救われたり癒されたりするのは、何も“闘って負けた”人間だけではない、ということを少し考えては頂けまいか、ともおもいました。

というのは、もともとこの歌は彼らのアルバムの中の1曲だったわけで、つまりは“ファン”が聴くことを大前提に作られているはずなのです。
で、彼らのファンというのは、実はかなり平均年齢が高いです。
昔の
アイドルファン=小中高生

という概念があてはまらず、大半が主婦だったりOLだったりするわけです。
そんなファンを想定して作られた、と考えてもらえると、少しは見えてくるものもないでしょうか。

「女だから」
「オバサンだから」

本人の努力とか、戦う気力とか、そういうもののまったく及ばない部分でもって、社会的にダメ(負け)と判定され、賃金が低く設定されたり、馬鹿にされたりする機会の多いひとが、その理不尽に対してなすすべなく、打ちのめされそうになっているとき、この歌を聴いて救われるのは、いけないことでは、ないでしょう。
個人的癒し、ですよ。


そう。
ほんとは歌なんて、すべて個人的癒しのものであるのに、なぜかこの歌がワケのわからん祭上げられかたをされたばっかりに、こんなにけちょんけちょんに言われてしまうことになったわけですよ。
だから本来は、大野さんが書かれた
『世界にひとつだけの花』に歌われる競争の相対化とユルい自己肯定を望んでいた層が、若者からおじさんまで、2003年の日本にマスでいたのです。

ということのほうをこそ、歌で逃げてないでちゃんと考えなきゃいけなかったんではなかろうか、世間は。
子どもに手話でこの歌を歌わせて喜んでたのは、たぶんオヤだけだとおもいます。

みんなOnly oneであるという当たり前のことが、「希望」の歌として歌われる国。

ウンザリ感を通り越して、なにか、しみじみと哀しいものがある。

そーゆーことです。




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Comment








>大野さん

>最初から結果を先取りしてしまっています。
>ナンバーワンになるべく努力しなくても、
>きみはきみのままでもともとオンリーワンだと。
>努力は奨励するが結果は問わないという
>矛盾したメッセージに思えるのは私だけでしょうか。

いえ、仰るとおりです。
大野さんは否『花』派(これもなんだろう)のなかでは、歌詩をちゃんと聴いてくださっているようなのでそこに気付いてくださっていると思うのですが、大野さんのところでリンクされている方々のところを読むと、どうもそうでなく、とにかく「努力しなくてもいい」ことの容認、と捉えていられる方もいらしたので、書きました。
説明不足でした。
大野さんが言われている
>歌のメッセージ(作詞家の意図)がどうだったかということではなく、
>それが受容されるシーンとコンテクストなのです
の部分は、わたしなりに理解しているつもりなのです。(かなり不足しているとは思いますが)
from. 夏葉 | 2008/06/06 23:01 |
>それに対して「一番じゃなくていいなら通知表やめろ」的主張で返すのは、言葉尻だけ捕らえた言葉遊びじゃないかなーと思います。

「脊髄反射したくなりました」とその後に書いているように、単に「通知表やめろ」的主張をしたいのではありません。文脈をお汲み取り頂けますよう。

>多くの嫌『花』論(なんじゃこりゃ)にあるのが、努力をしないことの正当化、とか頑張らなくていいという甘えの許容、とかいう言葉ですが、くらさんの視点からですと、いや、努力はしろと言ってるよ、てことですよね。

自分だけの花を咲かせることに一生懸命になればいい、と歌ってますね。でもナンバーワンにならなくてもいい。最初から結果を先取りしてしまっています。ナンバーワンになるべく努力しなくても、きみはきみのままでもともとオンリーワンだと。
努力は奨励するが結果は問わないという矛盾したメッセージに思えるのは私だけでしょうか。

世の中では努力は当然奨励され、同時に結果も問われます。むしろ結果で判断されます。その現実から目を背けさせるようなメッセージに聞こえるのです。そのような現実に直面する厳しさから一時的に逃避するために、この歌を慰めにした人は多かったのではないでしょうか。
私が記事にしたのは、歌のメッセージ(作詞家の意図)がどうだったかということではなく、それが受容されるシーンとコンテクストなのです。
from. 大野 | 2008/06/05 00:46 |
>くら様
いらしてくださってありがとうございます!

「花が咲いてからの話」
という観点は初めてです。さすがくらさん!

多くの嫌『花』論(なんじゃこりゃ)にあるのが、努力をしないことの正当化、とか頑張らなくていいという甘えの許容、とかいう言葉ですが、くらさんの視点からですと、いや、努力はしろと言ってるよ、てことですよね。
で、その努力の結果を他人と比べるなよ、ということですよね。
これはとても面白いので、ぜひ大野さんところへ書き込みしてみて欲しいです。
ここだけに書くのは勿体無いです!

ちなみのちなみに、私は花にならないまま種が腐ってしまったもようです。


>名無しさん
ど、どちら様で……????
from. 夏葉 | 2008/06/04 21:53 |
SMAP卒業してらしたんですね・・・
from. | 2008/06/04 15:24 |
こんばんはー。
知らないうちに負け犬ソングになったり、反戦歌になったりと、さすが300万売れた歌ですよねー。世界。
アタシはいつもこの歌でオンリーワンとかナンバーワンについて議論されるたびに、いや、それは「花が咲いてから」の話だからさー。
と言いたくなるんです。

この歌では、持ってるのは種なんですよ。
それをがんばって咲かせろと。それはお前だけのものだぞ。と。咲かせるのは大変だよ。と。
そう謳ってるとアタシは思ってるんですけどね。

誰もお前の種が花になるなんて言ってねーべ。と言われてるんだけど、皆自分の花は絶対咲くって自信があるんですよね(笑)
種は土に埋めなきゃ水をあげなきゃ育たないよ。芽が出ても花が咲くかわかんないよ。
もし咲いたらそれは他人と比べるものじゃないよ。って解釈してます。
それに対して「一番じゃなくていいなら通知表やめろ」的主張で返すのは、言葉尻だけ捕らえた言葉遊びじゃないかなーと思います。

ちなみにアタシはまだ花咲いてません。多分。これで咲いてたらちょっと悲しい(笑)
from. くら | 2008/06/04 00:09 |
>大野さん
あ、あああああ。
メールもしたんですが、電光石火のコメント、恐縮です。

確かにドラマ主題歌の効果も大きかったと思います(ドラマは『僕の生きる道』です)。
でも、ただのドラマ主題歌で止まらなかったのが、この歌の宿命と申せましょうか(苦笑)。
あんなことになってしまいました。

子ども相手に使った側は、本心から共感した人も居たででしょうが、でもほとんどは都合のいいように利用したように思います。
子ども自身が好んで歌うのは嗜好ですが、何かの行事に絡ませた時点で、強要に変わりますから。
(子どものなかにも、この歌が嫌い、と言う子がいたと思うんです)
オヤが歌わせるのは、間違いなくオヤの自己満足だと思います。


歌にしろ絵画にしろ本にしろ、売り出された以上、どう扱われても仕方ないのでしょうが、この歌のように大仰なことになってしまって戸惑ったのは、実は作ったマキハラノリユキ氏だったりはしませんでしょうか。


P.S
「君はそのままで……」
変わり者扱いされている私個人には、これはヒジョーにポイントの高い口説き文句なのですが、確かに公衆の面前で言われたら引くかも、です。
from. 夏葉 | 2008/06/03 23:07 |
こんにちは。
スマップのファンである大人の女性達に向けての歌であったという見方には、なるほどなと思いました。確かにアルバムってファンしか買わないですもんね。

あの歌のヒットのきっかけは、シングルカットされてからとのコメントを拙ブログに頂きましたが、ドラマに使われたことも大きいでしょうね。『これが僕の生きる道』でしたっけ、草ナギくん主演の。
社会で疲労した女性が大好きなスマップの歌に個人的に癒される、それ自体何も悪いことではないと思います。

歌にしろ絵にしろ小説にしろ、世の中に出た時点で、誰にどういう受け取られ方をするかはわからず、送り手の届けたい意図通りにはならないことは普通にあると思いますが、それがかなり極端なかたちで現れた例ではないかと思います。
特に小学校でよく使われたことで、「個性」を賞揚するゆとり教育の嘘くささと結びついて、アレな感じになった面は大きいですね。

またそれとは別に、「きみはそのままでいいんだよ」的なメッセージ自体がキモいという感性も一方にあるように思います。
それを疲れて癒しが欲しい時にひっそり言われたなら素直に受け取るかもしれませんが、堂々と明るく歌われてしまうと逆に反発したくなるという心性は、わかる気がします。
from. 大野 | 2008/06/03 22:37 |
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