静かの街 -初ボランティア-。

この三連休、一泊3日というスケジュールのボランティアバスツアーに参加した。
行き先は宮城県南三陸町。
陸前高田市、気仙沼市と並んで津波被害が甚大だった地域だ。
(初日の記事に添えた写真は、その被害の象徴である町の防災センターの骨組み。野田総理の所信表明演説でもとりあげられた、最後まで津波の避難アナウンスをしていて亡くなった女性職員さんの居た場所。最近、解体されることが決定)
作業は、両日とも津波で流された個人宅や共同住宅跡のがれき撤去や草むしりだった。

ボランティア作業は、完ぺき主義で、成果がはっきりと目に見えて現れなければ気がすまないタイプの人には、向かない。
なぜなら、やってもやっても終わりが見えず、これで終了、という線引きがないからだ。
なおかつその成果は、よくわからない。
じぶんの背丈ほどもある流木や、重い鉄のカタマリを拾っても、周囲にはまだまだそういうものがある。
「でも、ちょっとはきれいになったよね」
と、自身を納得させることができないと、もの凄く虚しい作業なのである。
わたしもそうだったが、一緒に作業しているグループの人たちも
「あたしたち、何かの役に立ってるのかな」
そういう疑問を、つい口にしてしまうほど現地の状況は凄まじく、改めて津波の威力を思い知らされた。


その津波。
報道の映像で何度も見ているから、その猛威はわかっているつもりだった。
けれど実際に現地のさまをこの目で見たら、そんなものは本当に“つもり”で、たとえば『生活の音』がない静けさだったり、ゆうに3階建ての建築物に匹敵する高さまでのがれきの山が連なるさまを見たり、山の木々の一部が茶色く変色していて、そのラインまで津波が到達したのだと教えられたときの驚愕だったりで初めて
「これは無理だ、逃げられない」
というような津波の恐怖を体感できた。

一応言い訳しておくと、現地の写真はバス車中から撮影したものです。
あたりまえですが、作業中及び休憩中はもちろん、現地での写真撮影は禁止です。
ただ、こういう記録を残して後世に語り伝えるのもひとつの使命であるので、バスからの撮影は許可されています。
以下は、津波の威力の凄さがよくわかる数枚。



3階建てのマンション屋上に流れさてきた乗用車。
2日目は、この下でのがれき撤去作業。



土台が傾いたコンクリートの建物。






現地はまだこのような光景がひろがっている。
どこを見てもせつない。
一度だけだったが、骨組みだけが残った住宅に向かって合掌している男性を見た。
言葉が出なかった。

初日の作業現場である個人宅には、そこにお住まいだった方が来て、お話をしてくれた。
海岸が目前にひろがるそのお宅は、津波の第一波で、家屋は土台を残して根こそぎ持っていかれたそうだ。
わたしはそこで、昔よく見た、台所に設置されていた瞬間湯沸かし器を泥の中から掘り出した。
ほかには和裁用の糸切り鋏、栗の瓶詰めなど。
じぶんの日常にあるものを拾うとかなりやるせなくなる。
2日めの共同住宅跡地では女性モノのかばんや化粧ポーチ、かわいいビーズの(おそらく)携帯ストラップ、DVDプレーヤー、換気扇、こいのぼり、靴下、ジャンパー、ボタン、バスタブの栓(鎖付)。
これらを使っていた人は無事なんだろうか。
どうしてもそうおもい、心が挫けそうになる。
でもそこで手を止めるわけにもいかない。
そう考えると、もっと早い時期にこういう作業をした人たちは、わたし以上にせつない想いをしたのだろうとおもう。

それまでの、なんの疑いも抱かずにすごしていた日常を、あっと言う間に持っていかれた現実。
拾っても拾っても尽きないガラスの破片やタイル、漁業が盛んな街だったこととて、魚網やその錘、大小さまざまなブイ(浮き)。
基礎だけ残った家屋。
そこに生えてくる雑草。その中で秋の虫が鳴き、空にはかもめが舞う、何もなければ相当美しい街だったろうとおもえる南三陸町。

でも生き延びた人びとは逞しい。
辛いのだろうけれど、逞しい。
自身では、なんの役に立っているのかと自問しているわたしたちに
「ありがとう」
と頭を下げてくれる、家を流されたじいちゃん。
拾い集めたモノの中に茶碗があって
「あ、おばあちゃんのお茶碗だ。持って行こう」
と言った若奥さん。
バス移動中には、がれきのなかの道を歩く、高校生とおぼしきカップルも見た。
若さは救いになるとおもった。
そしてこんな横断幕も、掲げられている。



これはボランティアセンターがあるところと同じ敷地内に建つ体育館の外のデッキ部分。
この体育館には見覚えがあるな、とおもっていたら、震災直後から避難所になっていたところというので、ああ、ニュースでよく映ったからだ、とわかった。
ぱっと見、とてもきれいで、避難所になっていたとはおもえないほどだが、当時ここは、近隣の人びとの唯一の逃げ場だったのだ。
高台にあるので津波の被害は受けなかったようだが、強い揺れに、よく耐えたな、と感じた。
がんばれ、南三陸のみんな。


最後に、ボランティアに行ってみたい気はあるけれど……と言う方に。
偉そうにきこえたら申し訳ないですが、行ってみたいという「気」がある方、とりあえず行ってみてください。
まず、一歩踏み出してみてください。
ボランティアは強制されるものではないですが、でも、「気」がある方は、やってみましょう、まず。
色々考えていても、現地の状況を見たらそんなもの、吹き飛びます。
何かせずにはいられなくなります。
自問自答しながらでも、いいんです。
自己満足だろ、と揶揄されてもいいじゃないですか。
現地の皆さんは、ほんとに喜んでくれます。

今、ボランティアツアーはたくさんあります。
わたしはたまたまJTB主催・企画のツアーでしたが、ネットで『東北 ボランティアプラン』で検索すれば、たくさんヒットします。
一度、そのツアープランをのぞいてみてください。
最近は新幹線で行くツアーもあるようですが、わたしとしてはバスツアーがお薦めです。荷物をずっとバスに置いておけるので。
また、個人参加よりも、ツアーで行くことのほうもお勧めします。
個人ですと、作業人数が定員に達して、行ったのに作業できないこともあるからです。

震災から半年過ぎてしまいましたが、現地ではまだまだ人手が足りません。
やること、できることはたくさんあります。
なので、躊躇してしまっている方、ここはひとつ、おもいきってください。
大丈夫です、わたしでもできました。

そしてわたしも、また、必ず行きます。
なんせゼゼコがかかることですので、すぐ、というわけにはいかないのですが、とりあえずは来春をめざして、再び、今度はどの街になるかわかりませんが、ボランティアツアーに、参加します。
そのとき、どこかの街であなたと一緒に活動できたら、いいですね。



時事刻々刻々 comments(2) trackbacks(0)
Comment








>泪さん

いやぁ、これはもう衝動です。
なんかしなくちゃ! というおもいに駆られまして……。
泪さんも、もし興味があるなら、えいやっ、と腰をあげてみるのもいいですよ。
息子さんたちと参加するとかね?
from. 夏葉 | 2011/10/04 21:55 |
すごいです、夏葉さん!!
ちゃんと思いを行動に移してる。
ボランティアに興味はあるのですが…。
見習わなければと思いました。
from. 泪 | 2011/09/27 15:41 |
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