キャッチコピーと文学。
参考記事:『駄目な歌詞:ミスチルと秋元 康』@夏男ノート


なんでまあ、わざわざひとの神経逆撫でするようなタイトルつけるのかね、とおもったわけですが、まあ、わたしもあんま他人様(ひとさま)のこと言えんわな、ユーミンの世界についてさんざん書いたから。
ぽりぽり(アタマを掻く)。

とはいえ、この記事の書き手さんの言いたいことは解らなくも、ない。
特に
言葉のセンスが無い人は“正しい日本語”から離れることができず、説明的な作文を書いてしまう。
メッセージが一義的な表現で一から十まで説明されているため、受け手が解釈を試みる余地が無い。

この部分には特に(もちろん自戒も込めている)。

わたしにとってのそういう歌詞は、ファンの方には申し訳ないが、小室哲哉の書くそれである。
メロディーはきれいなのに、なんで歌詞がああまでチープなんだろうか、と、彼の曲がチャートの上位を占めていた時代は、新曲が流れてくるたびにそうおもった。
ただ単純で解りやすい言葉の羅列、それだけであった。
そういう意味では、サザンの歌詞にも似たところがあって、それは昔に武田鉄矢が
「桑田の歌詞は、そこだけ抜き出してポスターに使えるほどキャッチーだ」
と褒めていたのにも通じる。
パッと見はおしゃれだったりイカしてたり粋だったりして解りやすく、そしてかっこいい。
そりゃそうだ、キャッチコピーだもの。
でも、それだけだ。
それこそ
「受け手が解釈を試みる余地が無い」
世界。
だが、キャッチーなものは人々の心を捉えて、名作は長く残る。


対して
本音を打ち明けて情に訴える歌詞よりも、発想力が問われる“言い回し”を作るほうが難しい

歌詞、となるとどうなるか。

それはもう文学である。へたすりゃ純文学レベルの。
聴き手にかなりの想像力、読解力、知識と理解するための忍耐が要される一作、てな感じ。
そりゃ聴く人は多くない。疲れるから。
へんに小難しく気取った言い回しやら見慣れない、聞き慣れない言葉がたくさんあって、意味わからん! と敬遠する。
わたしにとってのそういう歌詞は、とうぜん! ウチのセンセイである。
いや別に、このことを言いたくてここまでひっぱってきたわけでは、ない(少しはあるかも)。
ないが、以前からそういうふうにはおもっていた、ほんとに。
センセイの歌詞の多くは文学的――というか、心情的なものが多い、と。
むろん、センセイとて完璧ではないから、わたし個人的見解で
「なんつー歌詞だよ、をいをい」
て曲も、ある。何かは言わないけど。あとあとたいへんだから。
けど、多くの作品は、基本きれいな言葉で綴られ、直喩と見事な比喩がいいバランスを取り、儚げな抒情的場面と辛辣な叙事場面という相反する世界を難なく作り上げていて、素晴らしいとおもう。
うわー、ファン馬鹿丸出し(赤面)。

とにかく!
わたしは『歌詞』にはこのように“ひたすらわかりやすさを求めるもの”と“ひたすら想像力に訴えてくるもの”があるとおもうので、直喩が多用されているからダメ、とは一概には言えないとおもう。
だって人はわかりやすいものをこそ好むし、理解する。
特にこの国は。
いろんな解釈のあるものより、みんなで同じ感動を得られるもの、のほうを喜ぶのだから。


ちなみにわたしのなかで、最も美しいく素晴らしい歌詞(フレーズ)はスピッツの『空も飛べるはず』の出だし
幼い微熱を 下げられないまま 神様の影を恐れて

殊に
「幼い微熱」
この言葉のセンスの良さには感動すら覚える。




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