瀬戸際的東海道中膝栗毛。其の四−神奈川→東戸塚−
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ああ・・・・・・こんにちは、旦那。
いえね、この暑さでしょ、あたしもおっかさんも冬生まれだから、どうにもからだがついていかなくて、ちょっと休んじまいましたんですよ、あいすみません。
いま、冷たい白玉をお出ししますよ、そこにおかけになってくださいな。
ふう、しんどいこと。
え? おめぇも歳だなぁ、て? そうですよ、今さら何をおっしゃってるんです、あたしは旦那の奥様よりもずーっと年増なんですよ、はばかりさま。
日ごろ若く見て頂いてるのはうれしいことですけどね。

で、今回も旅の話ですか?
嬉しいですねぇ、毎回きちんと聴いてくだすって。
ええ、ええ、今回は神奈川宿から東戸塚までの10kmくらいでしたかね。
ただねぇ、旦那、もう暑くて暑くて。
あたしもおっかさんも、もうぐったりでしたよ。
ああ、はいはい、旅写真はこちらです、ご覧くださいまし。
ただねぇ・・・・・・今回のルート、東海道の名残のものがほぼ残っていないんですよ。一里塚の木すら、なんです。
なんででしょうかねぇ。とてももったいない気がしましたよ。
ですんでね、写真も説明の看板ばかりになっちまってます。
こんなのや

こんなの

こんなのばかりで。

でも時々ね、当時の名残のあるものもありますよ、たとえばこのお店。
街道沿いにあった茶店が前身で、そののち料亭になったそうなんです。
お江戸の昔から、ずーとここにあったんですね。
ほら、看板にも創業年干が。
こういうのは見てて嬉しいですよねぇ。

それよりもあたしはね、これまでの街が
「ここは昔の東海道でしたよ!」
というのを猛烈にアピールしてたのに対して、この神奈川宿から東戸塚までの街ときたら、んまぁ、淡泊だってことに驚きましたんですよ。
あちこち、至る所に『旧東海道』の文字が見えていたたとえば品川や川崎違って、横浜駅周辺やら天王町付近ときたら、所々にこういうものがあるだけなんです。

あっさりしすぎてるんですよ。
この近辺の方たちはあまりこういうことに興味がないんでしょうかねぇ。
ここなんてね、東海道と八王子道の分岐点の“追分”てところなんですけど
いまでもちゃんと道別れしてるんですよ、なのに、この目印しか残ってない。あっさりしたもんですよ。

ああでも、帷子のほうに行くと少しはね、それらしくしたものもありました。
そう、それ。それです。

広重の絵でも知られた新町橋を、なんとか残そうとしてくれてる姿勢が、嬉しいじゃないですか、ねぇ?



それからこっちですよ、旦那。
このルートでは珍しく当時のものの現存である道標。
金沢方面、横浜方面への目印の石碑です。
たまーに、こういうものが出てきたりします。

え? 権太坂? おめぇたちも登ったのか、って? いきなりですねぇ。
ええ、ええ、歩きましたとも、当たり前です、歩かなきゃ先へ進まないんですからね。
写真も撮りましたけど・・・・・ご覧になります?

ね、あまり写真だと斜度が伝わらないんですよ。
あすこは実際に歩いて登ってみなけりゃわかりませんて。
毎日毎日歩いてる地元の方はお偉いですよ。

けど、さすが旦那だ。
このルート最難関の権太坂のことをご存知でらっしゃった。
ねぇ、この坂もあって今回あたしたち母娘、ちょっとオーバーワーク気味になっちまったんです。
そのせいでこのあと、あまり写真も撮る気が起きなくてねぇ・・・・・・。
まあ一応、武相国境(くにざかい)のモニュメントは撮りましたけどね。





あ、その交差点はね、国境ですよ。
横断歩道の向こう側が相模の国で、こちら側が武蔵の国。
おもしろいでしょ、こういうのも。

まあ、今回はあたしたちが疲れきっちまったんで、あんまり話がなくてすみませんね。
とにかくもう、暑くてねぇ。
あたしらは夏は苦手ですから。
旦那は夏、すきそうですね。ああ、やっぱり。
はいはい、白玉のおかわりですね、今お持ちしますよ、よっこらせ。



【おまけ写真】










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Text:©2004 瀬戸際日記Neo.
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