『センス』のお仕事。


足を洗って20年は経ちますが、わたしも一時期デザインを生業としてました。
新聞・雑誌に載るような仕事もしたけど(電波はしたことない。そういう代理店ではなかったから)、この方がつぶやいてるような、人々が右から左へ読み流すようなものも『デザイン』しました。
例えば“名刺”。
今じゃパソコンで、テンプレートをダウンロードしてちゃっちゃっと作れてしまうからみんなピンとこないだろうけど、昔は名刺もデザイナーが原案を考えてたりしたのですよ、信じてもらえるかな?


で。
なんでいきなりこんなこと書いてるか、といえばそりゃあ五輪エンブレムの話があったから、です。
最初に
「パクリでは?」
と指摘されてから使用白紙撤回に至るまで、ずっとよのなかの動向を見てきていろいろ感じたのですが、そのわたしの心象は、かなり読まれた様子のこの記事にとても近いです。
というか、わたしが見た限り、デザイン業界に身を置くひとの大半がこの増田に共感を寄せているので、わたし以外にも多くのデザイナー(現役・退役共に)が似たような想いを抱いていたのではないかとおもいます。
文中に
「んなことやってねぇよ!」
と、おおぜいが色を成した表現があったりしましたが(補足・弁明の追記が出てた)佐野氏に対する認識とか、パクリか否かの判断やその後に出てきた疑惑や釈明会見を見ての落胆とか、制作者サイドにある説明責任なんかの解説は、もう一言一句そのとおりでしたね。
なのでここでは佐野氏のことや、エンブレムに関してのことはもう書きません。
じゃあ何を書くか、というと、今回の世間の声を見聞きして感じた、よのみなさんが抱いてる『デザインの仕事というものへの胡散臭さ』について、です。

わたしはとても痛感したんですよ、こんなによの人々が“デザイナー”という一見華やかな職業に対して、どこか納得いかないモヤモヤしたものを持っていたんだな、と。

ね、みなさん、いったい“デザイナー”ってのはなんなんだ? と、おもったでしょう、今回特に。
ひとの作品パクって選ばれて、デザイナーでございます、ってんだから楽でいいよな、とおもったでしょう?
特に昨今はパソコンで誰もが簡単にチラシやらなんやら作れてしまう時代だから、プロとアマの差がわからなくなってるから余計に。
こんなんなら、じぶんでも作れるさ、とかおもいませんでした?

その感覚は正解であり、誤りでもあります。

ぶっちゃけレイアウトデザインならたいていのひとはできます。
いい例が年賀状。
みなさんも作ったりしましたでしょ? ハガキ作成ソフトで。
素材がたくさんあって、その中から好みのイラスト・文章(書体)を選んで、テンプレートにあてはめる、てやつ。
デザイナーの仕事、は、それがちょっと複雑になったようなもの、の部分もあるので
「わたしにもできる」
は、正解なのです。
ではどこが誤りか、という話なのですが、実はそこがいちばんみなさんが感じる“胡散臭さ”であり“モヤモヤ”であろう『センス』なのです。

はい、きた、センス。
たぶん今回のエンブレム騒動で最後にカッチーンとさせられた
「一般人にはわからないみたいだから」
的な委員会の物言いの根底にある、何が正解やねん、な感覚である『センス』。
「イケてる」
「ダサい」
の言葉で一刀両断されてしまい、とにかく「ダサい」のはイヤだ。
でも正直なにが「いいセンス」なのか自信はないから、売れてるもの・流行っているもの、有名なもの・ブランドもの、高名なひとが作ったもの、なら安心できるから使う、着る、持つ、という行動の源である『センス』。

とは、実は違います。
わたしが言う『センス』とは、ほぼ『技(テクニック)』に近いです。
たとえばチラシひとつとっても、素材を、どこにどのくらいの大きさでどんなあつかいでどんなコンセプトのものとに配置するか、の『技』です。

プロのデザイナーとして身を立てたい、と志したものは学校であれ独学であれ、まずはデザインというものを知識として学びます。
そこでその『技』の習得方法も教わります。が、そう簡単に身につくものではありません。
地道に、コツコツと実際に作品をいくつも作るという実践経験を経てようやく、作成ソフトがなくても年賀状が作れる程度になり、そうしてやっとデザイン事務所や広告代理店なんかに入れたりします。
これでようやくスタートです(ごくまれにこの過程をすっとばして入社してくる強者が居たりしますが、たいていは潰れるか、逆に大天才であっという間に売れっ子になるかです←後者は滅多にいない)。
そこからまた『技』を磨く地道な制作生活が延々と続きます。
その途中にADC賞に入賞するような作品を作れたりしますけど、それはほんの一握りのもともと才能があり、運にも恵まれたひとだけ。
多くは地道にコツコツ、なのです。
でも、そのコツコツは確実に『技(センス)』を向上させており、それゆえ“そこそこ”のものをさらっと作れたりするようになってるので、業界外の人に対して、どうしても偉そうになってしまう部分が出てきてしまうのです。
己の持つ『技(センス)』への自負と矜持ゆえに。
そして今回の委員会の弁には、それがいちばん悪く顕れてしまった、とおもいます。

「一般国民の理解が得られない」

そりゃ、カッチーンとくるでしょう。あんたらは“一般”じゃないんかい、ああ、そうですか、てな。
わたしは元業界内、現業界外という人間なので、非常にビミョーでした。
委員会が言うところの“一般”の意味もなんとなくわかるし、ほんとに一般国民でもあるので、失礼な物言いだなと不愉快にもなったので。
と同時に、なぜよの人々がああまでパクリだパクリだと糾弾し、怒りをぶつけてきたのかが見えた気がしたのです。
そうか、デザインというものに対するおおもとの認識が違うんだと。
プロはデザインの仕事をその『技(センス)』でこなしているつもりなのに対して、プロでない人々は、デザインを『感覚的(センス)』なものとして捉えているんだな、と。

ちょっとわかりにくいですかね?
ではこう表現したらどうでしょう。

プロは『技(センス)』で“かっこいい”ものを作っているが、プロでない人々は『感覚(センス)』で“かっこいい”ものを作っているとおもっている。
だから、たとえばすごく有名なデザイナーが作ったから、とよでもてはやされている作品を、自身はイケてると感じないんだけど、それ言っちゃうと「ダサい」認定されちゃいそうだから言えない。けど、どう見ても「かっこよくないよね」だったりするのがたくさんあって、そういう『感覚(センス)』でものをいっていた(とおもっている)ひとのものが実はパクリだった! となったら
「そらやっぱり!」
「あんなに偉そうにしてたくせに!」
「ほんとはダサいんじゃん!」
と、これまでのモヤモヤを一気に払拭できるからそりゃあ怒りますよね――と書いたら、わかりますか?

余計わからなくなってしまったでしょうかね。
すみません。
えーと、ですから、デザイナーという職種を、タレントや歌手と同じカテゴリーで捉えてたらそれは違いますよ、どっちかというと職人ですよ、ということを言いたいわけです。
目立つ仕事もあるし、変わった人間が多いし、きっとたぶんエラそうなんでハナにつくでしょう。
でも多くのデザイナーは地味にコツコツです。
ただ、みなさんより
「どうすればきれいに見えるか、目を引くか、読みやすいか」
を『技(センス)』として知っていて、身につけているというだけの、職人なんです。

とまあ、今回の騒動を見ていてわたしが感じたことのひとつを書いてみました。
毎度うまくまとめられてないのですが、なんとか読み砕いてもらえたら幸いです。




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