同じ道を歩きたくない。


「独裁者3人」
とあったら、あなたはどの顔を思い浮かべるだろうか。


原爆の日の前日放送、というのも「妙」だとおもいながら、見た。
映像のほとんどがモノクロで、しかもノイズだらけなのではるか昔のことのように感じるがなに、まだ70年ちょいしか経っていない「つい最近」のドイツ・イタリア・ソ連(現ロシア)でのことであるのだ。
くわえて、この3国が辿った道を21世紀のいままた、世界各国で同じように歩んでいるようにおもえてゾッとした。

特に印象に残ったのがムッソリーニが「独裁者」でいられる理由を問われて語ったという
大衆は強い男を求める。女のように。
的な言葉。
独裁者は、斃されたのち独裁だったために独りでその批難を浴びるが、その独裁者をまつりあげるのはいつだって “大衆” だ。
番組内でも
「民衆は熱狂的に支持した」
というナレーションが何度繰り返されたことか。

「支持した」
と過去形で語られているだけならいいが
「支持されています」
現在進行形で評される国の為政者を、いま、何人も見ている気がする。

わたしも「男」はひ弱よりは強いほうがいいとおもうが、だがその「強さ」は、自身の意に反するものの声を聞かず、切り捨てるようなものではないし、財力を盾に相手を脅したり、武器をちらつかせてるくせに相手には武器を捨てろと言い募るようなものでもない。
そして「女」としては、あいつが襲ってきそうだから先にやっつけちゃってよ、などと「男」を煽るような真似はしたくない。
なにより、過去と同じ道を、歩きたくない。
「あやまちは 繰り返しませぬから」
広島に刻まれたこの言葉は、けっして広島だけのことではない。

この雲を世界のどこの空にも立ち昇らせることなど、二度としたくない。



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