されどピンクに罪はなし。




宇野さんが提唱した《ダサピンク》という言葉を初めて見たとき、あー、なるほど、とおもった。
常々、なーんでこれをこんなピンクにしちゃってるんだろなぁとか、なんで女性向けっていうとピンクっぽいのしか出ないんだろう、という謎が一気に氷解した気がしたのだ。
ただわたしには、本気で本人の確固たる意思で
「ピンクだいすき!」
な友人・知人がいたものだから、こういう『ピンクの大盤振る舞い』には需要があるのだろう、と普通に納得もしていた。
それと、わたしの根底にある “少女趣味” (ピンクのもの、ひらひら・フリフリなもの、お花模様・水玉模様は、わたしには似合わないけど、そのものを見るのはすき)な部分も手伝って、“女の子はピンク” という概念は、あながちはずれでもない、という位置にあった。

だが、それを『よく知りもしないひとたちに「どうせ」の意で以って企画されるのは業腹だ』というのはとてもよくわかる。
これまでわたしは、自身の嗜好は「少数派だからな」とどこか諦めており、欲しい『モノ』のにすきな色柄がないときは、購入そのものを断念するか、ぎりぎり妥協できる色のものを買っていたのであるが、それが「どうせ」という意思の所為だったかも、とおもうと腹立たしいやら悔しいやら、になるのだ。
それはちょっと昔、まだスマファンだった頃、番組観覧募集に年齢制限がかけられてたことや、木村が某ブランドバッグのイメージキャラになったことを知った時の感覚に、とても似ている。
「あーそーですか、わたしは顧客として求められていないのですね」
てやつ。
こちら側の意見・意思をまったく無視されている、という悲しさ、である。

それはつまり。
ピンクのものを出すな、というんじゃなく、ピンクと一緒にたとえば黒系・青系も出してくれたっていいじゃない、なのである。
いや、なんならもっとかっこいいピンクのものだったら、買うよ! でさえ、ある。
ピンクのとなりに、黒い線いっぽん、引いてくれたりするだけで違うんだから。
そういう “気遣い” らしきものがなく「どうせ」が見え見えなのは「いい加減にしてよ(呆)」というのが《ダサピンク現象》に対する女性陣の本音で、それは至極単純な
「選択肢を用意してほしい」
に尽きるのではないか、とおもうのであった。


でもって現在、わたしの身のまわりにある「ピンクのもの」を探してみたら、コレ(↓)くらいしかなかった。
どうでもいい報告だけど。

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