「まだ」8年。
「まだ」なのか「もう」なのか、ということを先日オカンと話していて、やっぱり「まだ」だよね、ということになった。
なんかよのなかは世界的なイベントに目を奪われて浮かれているけど、でもぜんぜん「まだ」なんだと、思い返さないと、とおもう。

この “津波の高さ” については、わたしは南三陸にボランティアに行ったとき、如実に違う山肌の色で実感した。
あんな高さまで波が来たのか、と。
なのでひさしぶりにその時に撮影した現地の写真のスライドショーを復活させてみる。

『この目で見た南三陸町』


あと、当時のわたしのボランティアに関する記事も一応。

その1
その2


こうして振り返ると平成は、ほんとうに災害の多い年代だった。
次の年代は悲しみの少ないことを、切に願う。

時事刻々刻々 comments(2) trackbacks(0)
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>juju様

お身内の壮絶な体験に、なんと申し上げてよいのか。
言葉か見つかりません。
仰る通り、自然の猛威の前に人間はなすすべなく、ただ打ちのめされ、でも立ち上がるしかないのですね。
from. 夏葉 | 2019/03/08 23:18 |
主人が神戸市出身で阪神大震災の時、
実家に義母が、20キロほど離れたところに義弟夫婦が住んでました。
地震がおきて歩いて義母のところにかけつけようとした義弟は、
途中何人もの人に「家族が家の下敷きになっているから助けてほしい」と手を引っ張られたとか。
けれど義母が心配で、むりやりその手を振り払っていくたび、
人生観が変わっていったそうで、
今でも忘れられないそうです。

震災はたくさんの人にきずを残します。



from. juju | 2019/03/05 23:44 |
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