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再び会津若松で『ブラタモなぞり』−2年ぶりだよお久しぶりね−
こんにちは。
あんまり待たれている気はありませんが、わたしが書きたいから書く『ブラタモなぞり』クロニクルのお時間がやってまいりました!
さて今回は2017年以来2年ぶりの会津若松でございますよ。
白虎隊の像も懐かしく感じられます。
とはいえ今回の会津行きのメインはもちろん! ウチのおじぃたちの秋ツアー遠征。
ライブ当日も翌日も、時間に制限がございます。
ということで、今回は2017年の時
「予習をせずに行ってめっちゃ後悔した!」
部分にのみ行こう! ということで、ものごっつ狭範囲を見ることにいたしまた。

まずはこちらから。
市内に唯一残された藩政時代の石垣。



ここがかつてお城に通じる通りで、門があった証しである、という貴重な場所を目指しました。
宿から歩いて行ける距離だったので、てくてく行きましたよ。
そしたら見えてきました!
石垣!


わたし以外に見に来てる人、いないなぁ。
けっこう凄い遺跡だとおもうんだけど・・・・・・(当日ライブに参加した方で、ここに行ったよー、て方、いらっしゃいますかね?)。
数多くの武将がこの地を治めたほど陸奥(みちのく)地方の要だった会津若松の栄光に想いを馳せ、しばし石垣を観察。


お城本体の石垣は野面積み、とのことですが、ここのものは布積みか乱積みにも見えますが、果たして?

そして次はおそらく『ブラタモリ』会津若松の回でもっともマニアックだったのでは、とわたしが勝手におもっているポイントをこの目で確かめに!
それは・・・・・・
青い〇で囲った部分、わかりますかね?
現地にあった古地図にも見られる謎のクランクです。
(赤い楕円で囲った部分)
タモリさんも不思議がっていました。

なんとこれは当時の治水工事の名残、なのです。
はるか遠く猪苗代湖から用水を引いてきた会津藩は、高低差のある城下町の東西南北に均等に水を行き渡らせるため、物理的(?)にも理にかなった用水路を作ったのです!

わたし『ブラタモリ』を見るようになって、何にいちばんワクワクするようになったか、と言えば実は「道」なのです。
東京はもちろん、日本の道には江戸どころか戦国⇒室町⇒鎌倉⇒平安・・・・・・へたすりゃ奈良・飛鳥いやさ古代のままのものがある、という事実に、めっちゃときめいたのです!
そして会津にもそんな道がある。
これは見ずにはおれませんですし、門の跡からも近い場所にあるというので見てきましたとも!
特にわかりやすい(とおもわれる)のは
ここ(↑)と
ここ(↑)かな!
え? わからない?
仕方ない、ではラインを引いてみますよ。
どう?
どう? どう?
ダメ押しもあるでよ!
(手前の〇の側溝があるように、実は道の下には今も水が流れているのです!)
21世紀になった今でも藩の時代の道のかたちは消えてない・・・・・・なんという歴史ロマン!
一見どってことない住宅地の街角なのに、そうおもうとめちゃめちゃドキドキしたのでした。


そんなわけでライブ前ということもあるし、見たいものは全部見たので、今回のなぞりはこれだけで終了です。
これまでで最もあっさりとしたなぞりですが、本人的には大満足。
その満足度のまま振替公演に臨んだので、余計にコンサートでは盛り上がったというわけです。

あっさりのおつきあい、今回もありがとうございました。
あとはなぞりとは関係ない、即席電報にもあげてない観光のもようをご覧ください。
ノーキャプでどうぞ。





























追伸:2017年の『ブラタモなぞり』の記事はコチラコチラです。


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Text:©2004 瀬戸際日記Neo.
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