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北陸遠征ついでに『ブラタモなぞり』 in 金沢−PART2−。
前回のなぞりPART1.は2015年4月25日放送の「金沢〜加賀百万石はどう守られた?!〜」からお送りしました。
PART2.の今回はその翌週5月2日放送「金沢の美〜金沢は美のまち?!〜」のなぞりです。
とはいえ、たった1か所のピンポイントなぞり、でございます。
番組公式サイトアーカイブにあるこの回の概要
金沢2夜目のテーマは、「美の世界」。
城に日本一バラエティに富んだ石垣があったり、
日本の金箔のほとんどを生産しているという金沢。
なぜこの町に華麗な美の世界が生まれたのか、
タモリさんならではの角度で迫ります。

の中の「城に日本一バラエティに富んだ石垣があったり」の部分にのみ、特化しております!
ご了承ください。


それでは始めますが、まずは「金沢城」の沿革を、ネット上の情報から幾つか引っ張ってまいりましょう。
別名:尾山城、尾上城、金城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:不明(1592年築)
御三階櫓:(望楼型3重4階 1603年築)非現存
築城主:佐久間盛政
築城年:天正8年(1580年)
主な改修者:前田利家・利長
主な城主:佐久間氏、前田氏
廃城年:明治4年(1871年)
遺構:長屋・門、石垣、土塁、堀、移築能舞台
指定文化財:国の重要文化財(石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫)、史跡
再建造物:菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋

築城は天正年間−つまり戦国時代ですが、現代で我々が見ているお城のかたちにしたのは、やはり前田家ですね。
そして前田家が造ったもので残っているのが
・長屋
・門
・石垣
・土塁と堀(PART1.で一部を紹介しましたよ!)
・移築能舞台
です。
その中の石垣、これが「金沢が美のまち」のルーツだというのでタモさんたちは見に行きます。


(↑)なぜこうなったかというと、加賀藩前田家は、徳川幕府の治世260年余の間、一度も改易の憂き目に遭うことなく続いたので、お城に改修が重なり、その時代・時代の石垣が残っているから、とのこと。
こんなふうに(↓)

そういえば、石川門の櫓のところでもありました、積み方が違う石垣。
これ(↓)。
わかります? 左右で積み方が違うの。
面白いですよね。

そしてこちら(↓)の石垣は、初代藩主前田利家時代のもの。自然の石をなにも加工せず、そのまま積んでいる方法で
「野面(のづら)」積みというものです。
ここでタモさんの蘊蓄が炸裂します。

こういう知識が得られるから、ほんとにこの番組は面白くてありがたい。

さて、同じ石垣でも、利家のころはまだ防御のために高く、険しく造ることが最大の目的でしたが、よのなかが平和になっていくと、石垣の意味も少しずつ変わるわけです。
3代目ともなると・・・
専門家の方にこんなこと言わせてしまうように・・・。
ちなみにこのとき背後に見えているのは河北(かわきた)門。
平成22年に再建されたので、めっちゃキレイです。
ま、そんなことは置いておくとして。
その、目的がやや変わってきた石垣ですよ。

このながーーーい建物は「五十間長屋」だそう。
これを支える石垣が・・・
なんですと。
桑子アナも
と言います。
なるほど。では、見てみましょう。



・・・写真がうまくない、というのもありますけど、実はわたしも現地で(そうかなぁ)とちょっと首をひねったんですよ。
そんなにカラフルには感じませんでしたが、当時の人にはカラフルに見えたのでしょう。
そしてその「う〜ん???」なセンスを感じる石垣はまだほかにも。
二の丸の裏手にあたる部分に残る石垣です。

ここには
そう、石の表面に刻印がなされているものがたくさん。

こんなにはっきり・くっきりです。
なぜこんなことをしたのかは解明されていないらしいのですが、一説では
だそうです。
「う〜〜〜ん???」
ですよねぇ・・・。
前田利常さんとは話は合わなさそうだなぁ。

で、3代目はちょっと斜め上のセンスの石垣を造りましたが、5代目はもっと凄いですよ、と専門家さん。
そして “それ” を見たタモさんも
こんなことを言う石垣とは・・・
これですね!(↓)







専門家をしてこうまで言わしめたここを、わたしはこのなぞりでもっとも見たかったので、この前に立ったときは、ほんとうに嬉しかったです!

ところでこの石垣があるのは「玉泉院丸庭園」で、二代目藩主の正室の屋敷があったところに、突飛なセンスの3代目利常さんが庭園づくりを始めた(意外だわ)そうです。
で、5代目綱紀さんが、この石垣を据えたと。
現在の庭園は、江戸末期の姿を再現したらしいですが、わたしの好きな回遊式庭園でとても美しい。


そして色紙短冊積みの石垣もその庭園の一部にちゃんと収まってます。
(写真のいちばん奥)

(わかりづらいですね、申し訳ない)
タモさんも確認してました。


このあとご一行は、金沢の代名詞ともいえる「金・金箔」にまつわる場所へ向かいましたが、そちらへのなぞりは行いませんので、PART2.はこれにて終了。
石垣にのみ、スポットをあてたなぞりなのにこれだけ冗長な記事になって、我ながら驚いております。
お読みいただきありがとうございました。

次回、福井のなぞりはまた今度!
(おそらく18日あたり)

ブラタモなぞり comments(2) -
Comment








>おみ様

完全なる自己満足の記事に嬉しいお言葉ありがとうございます!
ぜひ、金沢におでかけなさいませ!
私的にはせせらぎ通りの高低差を実感していただきたいです。

ところでおみ様には完全に見抜かれておりますが、わたしも最近では遠征が先なのか、なぞりが先なのか、わからなくなっておるのです(^^;)ゝ
これを世間では「本末転倒」というのだろうな、と。
from. 夏葉 | 2020/01/18 15:02 |
こんばんは。
いつもですけど今回もすばらしいレポートでございます。
もう行きたくてたまりません。
夏葉さんの遠征目的が、なぞりメインでライブはおまけなのかと思ってしまうくらい、濃い内容になってますね。
私も金沢遠征を計画した折りには、なぞりのなぞりをしなければ。(ただのパクリ)
次のご報告も楽しみにしております。

from. おみ | 2020/01/13 22:13 |
Text:©2004 瀬戸際日記Neo.
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